地元・群馬から往復6時間かけて稽古 RISE女王・寺山日葵が格闘技に捧げた14年間

3月に引退会見を行ったRISE QUEENミニフライ級王者・寺山日葵。7歳から人生の半分以上関わってきた格闘技はどんな存在だったのか。“女帝”が去った後の女子キックが盛り上がるためには何が必要なのか、自身の今後とともに話を聞いた。

寺山日葵が格闘技が与えたものを引退した今、口にする【写真:ENCOUNT編集部】
寺山日葵が格闘技が与えたものを引退した今、口にする【写真:ENCOUNT編集部】

劣等感を自信に変えた“格闘技”

 3月に引退会見を行ったRISE QUEENミニフライ級王者・寺山日葵。7歳から人生の半分以上関わってきた格闘技はどんな存在だったのか。“女帝”が去った後の女子キックが盛り上がるためには何が必要なのか、自身の今後とともに話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

「忙しいけれど、今はすごい楽しいんですよ!」。寺山はすでに次のステージへ歩き始めていた。

 格闘技を始めたのは7歳のとき。キックボクシングではなく空手からキャリアをスタートさせた。「なにも自信が持てなかった」少女が幼いながらに感じていた劣等感を払しょくしたのが格闘技だった。

「(両親にとって)初の子どもで、長女で可愛がられてきたんですよね。それでも保育園とか小学校とかコミュニティーが広がっていくとともに、容姿が良い子とか運動神経が良い子とか頭が良い子がいて、自分よりも何かを持っている人がたくさんいた」

 当初は父親から教わっていた。運動神経が悪かったという寺山は「新しいことやるのに遅れをとってしまうというのが悔しかった。それでも、数をこなしていけばできるようになっていった」と幼少期を振り返る。

 努力が実を結び、おのずと結果もついてくる。それが自信を取り戻すきっかけになっていた。「そのうち、ちょっとずつでも勝てるようになってきて、アマチュアでもベルトを巻けるようになりました。自分ってここだったら輝けるのかなって思えましたね」。

 当時、群馬県伊勢崎市に住んでいた寺山は、週に1度、往復6時間をかけて千葉県松戸市にある「TEPPEN GYM」に通うようになった。技術だけでなく、コニュニティーが広がったことも良い刺激だったと回顧する。

「小・中学生って地元のコミュニティーしかないわけじゃないですか。でも、TEPPENに通っていたおかげで、群馬の他に千葉にもコミュニティーができた。普通の地元でやっていく人よりも年齢の割には、関わっている人が多かった」

 もしも「人を殴らない蹴らない女の子」だったら何をしたかったのか。格闘技をしていなかった世界線を想像する。「ピアノとかダンスとか女の子らしいことをやりたい。でも普通に部活に入って、一生懸命やりたかったです。あとバイトも」と思いを巡らす。

 すると思い出したかのように「中学は卓球部に入っていて、高校は部活が廃部になるかもしれないから、自転車競技部のマネージャー枠として入っていたんですよ」と打ち明けた。

「部活には属していたけれど、格闘技を第一優先に考えてきたから、中学の卓球部でもほぼ幽霊部員で周りの人にはいい風に思われていなかった。部活に入って、同じ部活の子たちと仲良くなって、高校になってバイトやってみたかったな」

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