“いぶし銀”木戸修が語る師アントニオ猪木への想い 「いなかったら、俺の今はない」

銀髪、ヒゲを伸ばした“いぶし銀”木戸修さんに聞く「レジェンド直撃」シリーズ。2回目は新日本プロレスをともに立ち上げたアントニオ猪木氏への想い、マイクを置いた山口百恵さんの様にさっぱりと引退した訳などを聞いた。

バーベルを上げる木戸修氏、今でもトレーニングは欠かさない【写真:柴田惣一】
バーベルを上げる木戸修氏、今でもトレーニングは欠かさない【写真:柴田惣一】

レジェンド戦士を直撃、「いぶし銀」木戸修【連載vol.6】

 銀髪、ヒゲを伸ばした“いぶし銀”木戸修さんに聞く「レジェンド直撃」シリーズ。2回目は新日本プロレスをともに立ち上げたアントニオ猪木氏への想い、マイクを置いた山口百恵さんの様にさっぱりと引退した訳などを聞いた。(取材・構成=柴田惣一)【連載vol.6】

――皆さん「今でも猪木さんの前だと直立不動になってしまう」と口にしますが、木戸さんと猪木さんの関係はちょっと別で、特別な気がします。

「最近は会ってないな。まあ、よく散歩に行ったよ。新日本プロレスを旗揚げしたころは、遠征先で飯を食べた後には必ず、一緒に歩いたもんだ。後々、思ったんだけど、町をウロウロすることで『今日、プロレスがありますよ。見に来てください』ってことだったんだよな。猪木さんは目立つから。あの人は本当にスゴイ人だよ。旗揚げしたころ、みんな一生懸命だったな」

――日本プロレスを飛び出して正解でしたか?

「俺は政治的なことは何も知らなかったし、わからない。でも、猪木さんを先頭にして『プロレス界を良くしよう』とみんなが一丸となっていた。最初は苦労したけど、苦労なんて思ったこともなかったな。実際にどんどん良くなっていったろ」

――新日本プロレスが人気団体となり、クーデター事件も起こりました。木戸さんはどう関わっていたんですか?

「ああ、色々とあったな。でも、もう忘れちゃったよ。新宿のホテルに集まったりしていたみたいだけど……。まあ、俺は生活の基盤(アパート経営など)が他にもあったし、生きる道はあった。プロレスラーとしても、そんなにダメじゃなかったから、何がどうなろうが、何とかしていけるという自信みたいなものはあった。どこか引っ張ってくれる団体もあるだろう、ってな。何事もなるようにしか、ならないんだよ」

――積極的に動いていたわけではなかったんですね。UWFの時もですか?

「そうそう。声がかかれば聞くし、流れのままだな。第1次UWFはゴッチさんが来るから、ということだ。『木戸さんも、来てください』と言われれば、な。もう一番、古かったし。まあ、何があった、誰がどうしたなんて今さら、どうのこうのと言っても仕方ないだろ」

――新日本にUターンしました。その後、第2次UWFが立ち上がりましたが、木戸さんは新日本にとどまりましたね。

「戻って、新日本がうまくいった。もうどうのこうの、ないよ。声もかかんなかったし、もし声がかかっていても行かなかったな。行く必要もないし。そのままだよ」

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