デビュー50周年のアリス・矢沢透「本当はオフコースでやる予定だった」 今明かした秘話

アリスが1972年「走っておいで恋人よ」の発売から今年デビュー50周年となる。「冬の稲妻」「チャンピオン」などヒット曲を連発したが、日の当たらない時代もあった。谷村新司、堀内孝雄とともに苦楽を共にしたドラムの矢沢透にアリス結成秘話や50年の歴史を聞いた。すると驚きのエピソードも明かした。

「アリス」50年の思い出を語る矢沢透【写真:荒川祐史】
「アリス」50年の思い出を語る矢沢透【写真:荒川祐史】

アリスのデビュー50周年の節目に単独インタビュー 今だから明かせる話が次々と

 アリスが1972年「走っておいで恋人よ」の発売から今年デビュー50周年となる。「冬の稲妻」「チャンピオン」などヒット曲を連発したが、日の当たらない時代もあった。谷村新司、堀内孝雄とともに苦楽を共にしたドラムの矢沢透にアリス結成秘話や50年の歴史を聞いた。すると驚きのエピソードも明かした。(取材・文=中野由喜)

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「僕は当初、ソウルバンドをやっていましたが、実質的な仕事は布施明さんやトワ・エ・モワさんらのバックばかり。つまらなくなり休んでいたら突然、知らない人から電話がかかってきて、ブラウン・ライスというソウルバンドが海外ツアーに行くにあたりドラムを募集しているのでオーディションを受けないかと言われました。当時、ポール・マッカートニーから日本では唯一、曲をもらったバンド。行ったら受かったんです。ツアーには谷村新司がいたロック・キャンディーズやジローズといったバンドも参加していて、そこで谷村と意気投合してハワイだったかで一緒にやらないかと言われました」

 ソウルバンドと谷村のフォークでは音楽の方向性が違う気がするが。

「僕はそのツアーで初めてフォークを聴きました。いいな、すごくきれいだなと感じて1回やってみたいと思ったんです。でも長くやるとは思っていませんでした。昔のバンドは1か月で移ったりするもの。軽い気持ちでやったら、こうなふうになったんです(笑)」

 1か月でバンドを移る時代。思いがけない驚きのエピソードを明かしてくれた。

「本当はオフコースでやる予定だったんです」

 一瞬、耳を疑った。

「関西で活躍するジローズがライブをやる時、いつも大阪に呼ばれて僕がドラムを担当していました。その時、ジローズの前座がオフコース。そこで前座とバックの日陰者同士みたいな感じで仲良くなり、『やりましょうよ』となっていたんです。だからオフコースの1枚目と3枚目のLPは僕がドラムをたたいています」

 何かの歯車が少しずれていたら、アリスの矢沢ではなく、オフコースの矢沢になっていたかもしれない。では、なぜアリスなのか。

「声をかけられたのが海外ツアーに出る前。1969年か70年です。でも僕がすっかり忘れてしまって(笑)。ツアーから帰ってきてからアリスとオフコース、チューリップと3バンド一緒のツアーがあった時、オフコース(小田和正か鈴木康博の2人)に旅先で『一緒にやるって言ってなかった?』と言われ、あ、そうだったと思いだし、オフコースがレコーディングをやるというので、僕がやるよと言って、2枚のLPでドラムをたたいたんです。人生ってどうなるか分からないね(笑)」

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