荻野目洋子「こんな大人になりたくない」 新人時代のホロ苦い経験が私を強くした

歌手として38年目を迎える荻野目洋子が、デビュー日となる4月3日に約2年ぶりとなるライブを開催する。どんな職業に就いていても社会人初日(=デビュー日)だけは覚えているという人は多いだろう。とりわけアイドル歌手にとって一生忘れることのない大切な1日。そんな彼女のデビュー当時を振り返ってもらった。

38年前のデビュー当時を振り返った荻野目洋子【写真:荒川祐史】
38年前のデビュー当時を振り返った荻野目洋子【写真:荒川祐史】

「歌でいつか見返してやる」負けず嫌いで乗り越えた新人時代

 歌手として38年目を迎える荻野目洋子が、デビュー日となる4月3日に約2年ぶりとなるライブを開催する。どんな職業に就いていても社会人初日(=デビュー日)だけは覚えているという人は多いだろう。とりわけアイドル歌手にとって一生忘れることのない大切な1日。そんな彼女のデビュー当時を振り返ってもらった。(取材・文=福嶋剛)

 私がデビューしたのは1984年の4月3日、「未来航海-Sailing-」という曲でした。ジャケット写真に写っている私は……ごくごく普通の女の子ですよね?(笑)。娘にも「本当にメークしているの?」って突っ込まれました(笑)。当時、メークさんに「自然体が良いから。リップクリームだけで大丈夫だね」って言われたことを今でも覚えています。メークが似合わないと察したのでしょうね。

 実は15歳で歌手デビューする前からグループを組んでテレビに出たりもしていましたが、まだ世の中のことなんて何も分からなかったので、その頃はただ「楽しいな!」としか思ってなかったですね。でもソロデビュー日は全然違いました。4月3日を迎えて緊張感やプレッシャーを感じながら「これから本格的に一人で歌っていくんだ」というそんな気持ちだったことを覚えています。

 プロモーション用のカセットテープを紙袋にたくさん詰め込んで、レコード会社の方と一緒にラジオ局やテレビ局にあいさつ周りもたくさんしました。

「新人の荻野目洋子です。デビュー曲の『未来航海』よろしくお願いします!」って一人一人に元気にあいさつしていくんですが、あるラジオ局のディレクターさんが、全然こちらに顔を向けてくれずに、「はいはい」と言って手に取ったカセットを無造作に机の上にポンと置かれてしまったとき、「大人って口ばっかり」って思いました(笑)。ほかにも当時は新人賞レースがたくさんあって、ステージに新人さんたちがずらりと並ぶんです。すると始まる前に別の事務所の知らないおじさんが、つかつかと私のところにやってきて、いきなり私の見た目の悪口を平気で言い始めたんです。そのときも「こういう大人にはなりたくないな」って思いました(笑)。

 まあ小さい頃からかなりの負けず嫌いで、そんな悔しい思いをするたびに「絶対に有名になっていつか見返してやるぞ」っていう気持ちに切り替えてましたね。当時はアイドル全盛期で周りを見渡すと、すごい方ばかりだったので自分は何ができるんだろうって考えたときに「歌で勝負しよう」って。歌だけは絶対にみんなに負けないようにいっぱい練習しようと思いました。

 デビュー当時のキャッチフレーズは「ハートは、まっすぐ。」。名付け親はコピーライターの糸井重里さんです。振り返ってみると確かに的を射ているなって。昔から好きだと思ったら、そこに向かって一直線で。例えば子どもの頃に昆虫が大好きで、それは今でも再燃していて、とうとう「虫のつぶやき」(2020年、NHK「みんなのうた」)という歌まで出しちゃいましたから(笑)。そんな私の性格を一瞬で見抜いてしまった糸井さんはあらためてすごい人だなって思いました。

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