荻野目洋子がウクレレで新境地 「ダンシング・ヒーローだけじゃない」新たな挑戦

歌手デビューから38年目を迎えた荻野目洋子が2年ぶりとなるライブを大阪と横浜で4月に開催する。“荻野目ちゃん”と言えば世間一般には「ダンシング・ヒーロー」というイメージがあまりにも強いが、彼女の魅力は何と言っても、のびやかで透明感があり、それでいて力強く響く歌声だ。それは今も変わらない。3人のまな娘の子育てがようやく落ち着き、再び大好きな歌と音楽に向き合ってみると、音楽を届けることがこんなにも楽しかったんだと改めて実感する毎日だという。そんな歌手としての現在を語ってもらった。

荻野目洋子【写真:荒川祐史】
荻野目洋子【写真:荒川祐史】

20代の全盛期に挫折した楽器演奏に再び挑戦

 歌手デビューから38年目を迎えた荻野目洋子が2年ぶりとなるライブを大阪と横浜で4月に開催する。“荻野目ちゃん”と言えば世間一般には「ダンシング・ヒーロー」というイメージがあまりにも強いが、彼女の魅力は何と言っても、のびやかで透明感があり、それでいて力強く響く歌声だ。それは今も変わらない。3人のまな娘の子育てがようやく落ち着き、再び大好きな歌と音楽に向き合ってみると、音楽を届けることがこんなにも楽しかったんだと改めて実感する毎日だという。そんな歌手としての現在を語ってもらった。(取材・文=福嶋剛)

 私がデビューしたのは1983年の4月3日。今年、同じ日に開催するビルボードライブ横浜のステージで38年目を迎えます。子どもを生んでから3人の娘の子育てに全力だったので、本格的にライブを再開した2014年からは、毎年ライブを行っています。だから今年もまた大切な4月がやってくる。そんな気持ちです。そう言えば活動を再開して今年で10年目になるんですね。でも、ここ2年くらいはコロナ禍でみなさんの前で歌えなかったので「やっと歌える!」そう思うと今からワクワクしています。

 80~90年代のライブと違ってここ数年は、ウクレレやギターの弾き語りも披露して、今の自分らしいライブがお届けできているのかなってそう思っています。楽器とちゃんと向き合ったのは、3人の子育て真っ最中の頃でした。いつも子育てに追われていて「自分の時間もちゃんと作らなきゃダメだ」そう思って始めてみたんです。

 実は20代の頃にギターを習ったことがあって、今だから言える話で、当時スタッフさんに『やったほうがいい』と言われて必要に迫られて練習していたので、あまりノリ気じゃなかったんです。そんな感じだったので上達するはずもなく、さらに忙しくなってしまい、結局、挫折してしまいました。でも今こうやって自然にギターやウクレレを弾くようになって、なんか不思議な巡り合わせですね(笑)。

 その後、2011年に東日本大震災が起こり、当時は芸能活動を休止していましたが、東北にも私を応援してくださった方がたくさんいらっしゃって「何かできることで励ましたい」そう思った時に、楽器が弾けなきゃ1人で行ってもアカペラで歌うしかない。そこで独学ですがギターとウクレレの弾き語りができるまで真剣に練習をはじめたんです。

次のページへ (2/4) 私にとっての高木ブーさんはウクレレの神様
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