この季節、42年前の興奮が蘇る 猪木VSウィリー・ウィリアムスの異種格闘技戦を振り返る
アントニオ猪木といえば、唯一無二の存在。稀代の名レスラーであり、名勝負特集を組めば猪木の試合がいくつも上がってくる。プロレスラー同士の闘いはもちろんだが、異種格闘技戦での猪木の勇姿を思い浮かべる人も多いはず。
1980年「猪木VSウィリー」の名勝負が実現
アントニオ猪木といえば、唯一無二の存在。稀代の名レスラーであり、名勝負特集を組めば猪木の試合がいくつも上がってくる。プロレスラー同士の闘いはもちろんだが、異種格闘技戦での猪木の勇姿を思い浮かべる人も多いはず。
ウィリアム・ルスカ、モハメド・アリ、ザ・モンスターマン……。迫力あふれる好勝負はいくつもあるが、殺気といえばウィリー・ウィリアムス戦(1980年2月27日、東京・蔵前国技館)だろう。
極真空手のウィリー。1976年に公開された「地上最強のカラテ2」でグリズリーを相手にし「熊殺し」と呼ばれていた。猪木の格闘技戦も話題を呼んでおり、当時の格闘技ブームは熱いばかり。
「猪木VSウィリー」実現の気運は高まったが、極真空手は他流試合を禁止しており、実現にはさまざまなハードルが立ちはだかっていた。それでも、夢の対決を待望するファンの熱気に押されてか、ついにゴングが鳴った。
プロレスと空手の威信がかかっている。国技・大相撲の殿堂は関係者もファンも殺気立ち、異様な雰囲気に支配されていた。会場中がピリピリと殺気立ち、張りつめた空気が肌を刺す。場内整理の係員までも表情がこわばっていた。緊迫感には免疫のあるプロレスラーたちも「あのときが一番だな」と口をそろえて振り返っている。
果たして、エキサイトの連続。2Rに両者もつれ合ってリング下に転がり落ちると、ウィリーが馬乗りパンチを乱射。猪木の額が割れている。その間に場外15カウントが経過し、両者リングアウトの裁定が下った。
当然、両陣営とも納得がいくはずもない。猪木とウィリーはもちろん、セコンド陣も入り乱れて大乱闘が始まってしまった。ののしり合いに小競り合いが勃発したが、実は観客席のアチコチでも「プロレスファンVS空手ファン」が怒鳴りあい、体をぶつけ合ったり、小突き合ったりしていた。
緊迫感の中で両陣営、立ち合い人の協議の末、試合続行となり、歓声と怒号が入り混じり、ますます会場は熱気に包まれた。