「ギャラは1億円、相手はピーター・アーツ」と要求した小川直也 無茶苦茶だった20年前の大みそか
過日、アントニオ猪木の闘魂タオルがRIZINのVVIP席の購入特典に追加されることが発表になった。「闘魂」と刺しゅうされた赤いタオルに、RIZINのロゴも刺しゅうされるという特注品。実は大みそかと猪木の関係は切っても切れないものだった。もう今から20年も前の話になるが、今回は温故知新とばかりに、当時の年末の様子を振り返る。全2回の前編。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
20世紀のラストは猪木とグレイシーのエキシビション
過日、アントニオ猪木の闘魂タオルがRIZINのVVIP席の購入特典に追加されることが発表になった。「闘魂」と刺しゅうされた赤いタオルに、RIZINのロゴも刺しゅうされるという特注品。実は大みそかと猪木の関係は切っても切れないものだった。もう今から20年も前の話になるが、今回は温故知新とばかりに、当時の年末の様子を振り返る。全2回の前編。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
2021年の大みそかが間近に迫ってきた。格闘技界を見渡すと、もう20年以上、大みそかという日付に振り回されてきた気がしている。
振り返ると、大みそかにビッグイベントが開催されるようになったのは、2000年のこと。大阪ドームでの「INOKI BOM-BA-YE」が最初だった。
ミレニアムイベントとして開催された大会は、この日、スキンヘッド姿を初公開した武藤敬司がメインに登場。高田延彦とタッグを組み、ケン・シャムロック、ドン・フライ組と闘った。
要は、「10・9」と呼ばれ、いまだに語り継がれる新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦(1995年10月9日、東京ドーム)で雌雄を決した武藤と高田がチームを組み、シャムロックとフライという「米国随一の険悪な関係」と呼ばれる2人と闘ったのだ。
また外国勢の両者は、シャムロックが第1回UFC(93年11月12日、米国コロラド州デンバー)に参戦し、フライは当時のUFCのオールスター戦トーナメントで優勝した実績を持つ。しかもフライに至っては猪木の引退試合(98年4月4日、東京ドーム)の相手にもなった。
この4人だけの「歴史」を見ていても、十分、20世紀の句読点を知ることができるマッチメークだった。
そして、メイン終了後には猪木がヘンゾ・グレイシーとエキシビションマッチを行い、20世紀のラストマッチを終えた。
猪木という「プロレスそのもの」とグレイシー一族という「歴史」が20世紀の最後に交わるという物語で20世紀を終えたのである。
つまり猪木をみこしに担いでいた関係者や選手、そして猪木を追いかけてきた記者を含め、みんながみんな東京ではなく大阪で20世紀を終え、そのまま21世紀を迎えたことになる。
思い出すのは、翌朝ホテルで食べた朝食にあった雑煮には、関西風の丸いお餅が入っていたこと。21世紀初の朝食がそれだった。懐かしい思い出だ。
今のように料理を写真に残す習慣がなく、SNSも発達していなかったので、ほとんどこの頃のそういった写真は残っていないが。