【週末は女子プロレス♯25】引退して12年、妻になった三田英津子が語るデスバレーボム開発秘話 技名に「三田」検討も
女子プロレスにはかつて、フリー全盛の時代があった。それはまた、女子プロ冬の時代を象徴する光景でもあった。一部を除き、どこのリングでも同じような顔ぶれで団体の個性が消えてしまっていたのである。そんな状況下で複数の団体から引っ張りだことなり、フリー本来の意味を体現していたひとりが三田英津子である。当時の女子プロを盛り上げ後進に与えた影響からも、三田と下田美馬の猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス。以下、ラスカチョ)や、植松寿絵がフリーレスラーとしてもっとも成功した例と言えるだろう。そこで今回は、引退して12年がたつ三田を訪問。近況や現役時代の思い出などを聞いてみた。
「これがいま付き合ってる人なんだけど」両親に三田の引退試合の映像見せた夫
女子プロレスにはかつて、フリー全盛の時代があった。それはまた、女子プロ冬の時代を象徴する光景でもあった。一部を除き、どこのリングでも同じような顔ぶれで団体の個性が消えてしまっていたのである。そんな状況下で複数の団体から引っ張りだことなり、フリー本来の意味を体現していたひとりが三田英津子である。当時の女子プロを盛り上げ後進に与えた影響からも、三田と下田美馬の猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス。以下、ラスカチョ)や、植松寿絵がフリーレスラーとしてもっとも成功した例と言えるだろう。そこで今回は、引退して12年がたつ三田を訪問。近況や現役時代の思い出などを聞いてみた。(取材・文=新井宏)
「昨年夏に母が他界しまして、ここ1年はバタバタでしたね。現役のときから介護の仕事を始めていたんですけど、それをちょっとお休みして、家でみとれたのでそこはよかったかなと思ってます。そこからいろいろ手続きとかあって、一周忌を終えていまようやく落ち着いた感じです」
引退後、彼女は介護福祉の職に就きながらもブル中野の店「中野のぶるちゃん」で週末に働く機会を得た。これはブルからの粋な計らいだった。「完全に別世界に行ってしまうと気持ち的にもよくないだろう。キッパリとプロレスから離れるのではなく、たまにはプロレス好きの方やファンの方と接した方がいい。このお話をいただいたことでバランスが取れて、生活に覇気を感じることができましたね」。そこで出会ったのが、現在の旦那様(12歳年下!)である。
「なんだかんだ、結婚しちゃいましたねえ(笑)。2014年12月に籍を入れて、15年6月に挙式をおこないました。プロレスファンでもある主人はお店のお客さんで、もともと納見佳容ちゃんのファンだったんですよ(笑)。これって自分が飲みたい口実なんですけど、反省会と称して仕事が終わってからあらためて出かけるんですね。それに付き合ってくれたのが彼で。まあ、仕事が翌日休みだったかもしれないけど、そんな感じで親しくなって、結婚しました。結婚を決めたポイント? それがなにもなかったの(苦笑)。プロポーズもなにもなくて、『知らない間に俺は結婚してた』とか言われて。『私だってプロポーズもなにもされてないよ』って(笑)。だけど、『式場はどうしよう?』とか、『お母さんにあいさつに行かなきゃね』となったりして、結婚前提で話が進んでいったんです。主人の方は両親に私の引退試合のビデオを見せて、『これがいま付き合ってる人なんだけど』と言ったそうなんです。それでも反対されることなくすべてが意外なくらいスムーズに運びました。ただ、私の母親は彼が家に来るときは仲良くしてて一緒にプロレスを見たりしてたんですけど、いざ結婚となると年の差が問題だったみたいで心を閉ざしちゃって。そしたら母の妹や父の弟が『いまの時代は女性が長生きなんだから、そういうのもありなんだよ』と説得してくれて、結婚することができました」
晴れて旦那様は三田家に婿入り。いまも熱心なプロレスファンとのことだが、三田自身は現在のプロレスをほとんど見ることはないという。
「昔の映像とか見ると、自分が自分に見えない気がしますね。こんなに怖いことしてたんだって驚きます。自分だと思ってないし、もう怖くてしょうがない(苦笑)。いまのデスマッチは怖くて怖くて、キャーって叫んじゃいます(笑)」。ラスカチョ時代は流血も辞さないファイトをしていたのだが…。