eスポーツ選手は“カッコいい存在”へ 若手社長は「カルチャーを作り出す側」を目指す

プロeスポーツチーム「REJECT」は9月16日、東京都内に「REJECT GAMING BASE」を設立し、新しいブランドコンセプト「Road to Clutch」を発表した。また、有力選手や人気ストリーマーの獲得も同時に発表するなど、さらなる発展に向けて強い決意を感じさせるリブランディングとなっている。代表取締役社長を務める甲山翔也氏は、若くしてeスポーツチームのオーナーとなり、その急成長を実現させてきた。一方で、現在に至るまでにはさまざまな障壁があり、今後の日本でのeスポーツ市場にも危機感を抱きながらチャレンジを続けている。甲山氏に「REJECT」がたどってきた道と将来、日本eスポーツ界の未来への思いなどについて話を聞いた。

REJECTの甲山翔也社長【写真:ENCOUNT編集部】
REJECTの甲山翔也社長【写真:ENCOUNT編集部】

大学生社長として「REJECT」起業の甲山翔也氏 世界で戦う中で訪れた転機

 プロeスポーツチーム「REJECT」は9月16日、東京都内に「REJECT GAMING BASE」を設立し、新しいブランドコンセプト「Road to Clutch」を発表した。また、有力選手や人気ストリーマーの獲得も同時に発表するなど、さらなる発展に向けて強い決意を感じさせるリブランディングとなっている。

 代表取締役社長を務める甲山翔也氏は、若くしてeスポーツチームのオーナーとなり、その急成長を実現させてきた。一方で、現在に至るまでにはさまざまな障壁があり、今後の日本でのeスポーツ市場にも危機感を抱きながらチャレンジを続けている。甲山氏に「REJECT」がたどってきた道と将来、日本eスポーツ界の未来への思いなどについて話を聞いた。(取材・構成=片村光博)

――甲山社長は2018年、大学生社長として「REJECT」を創業しました。まず、その経緯について教えてください。

「もともと、起業家になる予定はなかったんです。実家が東大阪市で、プラスチックの加工業を営んでいて、昔から後を継ぐものだと思われていて、自分でもそう思っていました。大学を卒業すると父の会社を継ぐしかないという状況で、1人暮らしの大学時代は最後の“チャンス”。小学生時代から離れたところに住む親友と遊ぶためにオンラインゲームをずっとやっていたこともあり、大学時代は『ゲームで何に挑戦できるのか』と思って取り組んでいました。

 そのとき、『Counter-Strike Online 2』というタイトルの公式オフライン大会で実績を残すことができて、『PUBG(PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS)』の選手として声をかけていただいたんです。月給8~10万円の4人チームでスタートしたんですが、2~3か月でオーナーが失踪してしまいました。当時は周囲のチームでもオーナーが逃げてしまったり、給料未払いだったりということがたくさんありました。そうした経緯の中で、(eスポーツの負の側面を)“すべてを拒絶する”という意味の『All Rejection Gaming』が立ち上がったんです」

――当時の日本eスポーツ界の負の側面に直面したことが始まりなんですね。

「当初は法人化の予定はなかったんですが、自分が選手を集めたチームだったということもあり、選手たちに対して責任を取るためにもスタートしました。ただ、最初は個人でウェブサイトの制作請負をして、選手たちに給料を支払うという状況でした。そんなときに、『PUGB MOBILE』に出会ったんです。この市場は非常に面白くて、まだほとんどプロチームがいなかった上に、世界大会の出場権も付いてくる。この幸運を逃すわけにはいかないと、当時のトップ層10人ほどを獲得しました。するとベルリンや台湾、マレーシア、サウジアラビアと、多くの世界大会に行くことができたんです」

――その結果、新たな市場で一気に知名度を高めることに成功する形になりました。

「日本で一番有名なモバイルeスポーツチームになることができました。ただ、金銭的にはカツカツのまま。ビジネスの方法すら分からず、適当なスポンサー営業をかけては取れないという状況だったんです。その中で2019年末に『イーストベンチャーズ』というベンチャーキャピタルからお声がかかりました。当初は“投資家”という言葉自体が怖く、拒否していたのですが、試しにベンチャーキャピタルの競合他社に話をしてみたら、即決で『1000万円出します』となったんです。そして世界大会でのサウジアラビア滞在中に再び電話がかかってきて、そこから話が進みました」

――「REJECT」としての転機になったわけですね。

「サウジアラビアでは、海外との壁を感じていたんです。僕たちがすごく小さな世界で生きている一方で、海外チームはスポンサーもいるし、お金だってすごくたくさんもらっている。インスタグラムのフォロワー数も桁違いです。この乖離(かいり)を見て『なんとかしないといけない』と苦しんでいるときに、もう一度話が来て、『じゃあやりましょう』と返事をさせていただきました。僕は全然ビジネスについて分からないので、勉強させてほしい、うちの会社に入ってほしいと担当の方に頼んで、その方には出向のような形で実際に来ていただいて、今もほぼ毎日来てもらっています。これが2019年12月くらいの出来事。翌週には僕も上京して、やっと会社が始まったと言うべきですね。その流れで、チーム名を「All Rejection Gaming」から「REJECT」に変更しました。」

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