選手のファイトを支える林リングドクター 見守る心境は「緊張感でピリピリ」

リングサイドで選手の動きを注意深く見つめ、何かあればリングに駆け上がってチェック……リングドクターがそこにいてくれるからこそ、選手も命がけのファイトに集中できる。

リングサイドが林リングドクターの定位置【写真:柴田惣一】
リングサイドが林リングドクターの定位置【写真:柴田惣一】

葛西駅前に医院を開業し、地域医療にも貢献

 リングサイドで選手の動きを注意深く見つめ、何かあればリングに駆け上がってチェック……リングドクターがそこにいてくれるからこそ、選手も命がけのファイトに集中できる。

 プロレス会場に欠かせないのがリングドクター。新日本プロレスや全日本プロレスを始め多くの団体のリングサイドで、ほとんどのファンがこの人の姿を見かけているはず。

 ドクター林。お笑い芸人としてイベントに参加し、CDを発売し、ラジオ番組のDJも務めるなど、タレントとしても活躍してきた才人だが、もちろんお医者様が本業。東京・葛西駅前に弘邦医院を開業し地域医療にも貢献している。

 選手との交流も深く、会場だけでなく弘邦医院にも選手がやってくる。コロナのワクチン接種でも林ドクターのお世話になったレスラーも多い。

 リングドクターのスタートは全日本女子プロレスだった。アジャ・コングとメドューサの大流血戦(90年7月、東京・大田区総合体育館)では、血だるまの両選手の傷口を診たが、忘れられないことがあるという。

「ジャケットを預かります」と声をかけてくれたのが下田美馬だった。「助かったよね。あのまま上着を着たままだったら、真っ赤に染まってしまうところだった」と振り返る。現在、新日本プロレスのスタッフとして活躍する下田と、思い出話で盛り上がるそうだ。

 95年から新日本プロレスのリングドクターとなった。関東地区の大会はもちろん、地方大会でもビッグマッチには駆けつける。コロナ禍でいつも通りとはいかないが、リングサイドにドクター林を見つけるとホッとする選手、関係者はもちろん、ファンもいるはず。

 実は小さいころからプロレスファンだった。力道山時代からの筋金入りで、ハマったのはアントニオ猪木。「ドリーとの60分時間切れ引き分けの一戦(69年12月、大阪府立体育会館)にしびれた。しかも後になって、猪木さんが指を骨折していたことがわかった。私がくじけそうになっても、やりぬいて、医者になれたのも、猪木さんのおかげ」と熱い。

 お医者さんももちろんだが、リングドクターはまさに天職。「プロレスラーは礼儀正しいし、本当にスゴイ。ケガをしているのに『ファンが楽しみにしていてくれる。俺が出なきゃ』と試合に出場しながらケガを治してしまう人も多いんだからね」と半ばあきれ顔だ。

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