第54代横綱にしてプロレスラー「黄金の左」輪島大士さんの「人たらし伝説」【連載vol.64】

2018年10月8日に70歳で亡くなった「横綱レスラー」輪島大士さんの追悼番組「黄金の左 永遠に」の収録に参加。今でも色あせない、輪島さんの思い出話をさせていただいた。

名横綱・輪島大士さんの勇姿【写真提供:安江うに氏】
名横綱・輪島大士さんの勇姿【写真提供:安江うに氏】

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 2018年10月8日に70歳で亡くなった「横綱レスラー」輪島大士さんの追悼番組「黄金の左 永遠に」の収録に参加。今でも色あせない、輪島さんの思い出話をさせていただいた。

 輪島さんの故郷・石川県七尾市のラジオななお(FM76.4MHz)スタジオに電話で乱入。輪島さんの幼なじみで親友の中西廣さん、シンガー・ソングライターの北脇貴士さんと一緒に「人たらし」だった輪島さんの魅力を振り返った。

 1986年の全日本プロレス入りからのお付き合いだったが、失礼ながら「わ~さん」と呼ばせていただいたのがすべて。周りの人間をいつの間にかシンパにしてしまう。とにかくサポートしたくなる人だった。

 86年11月の日本デビュー戦を前に成田空港に帰国した輪島さんの荷物を自然に受け取っていた。「アレ? 俺、付き人やっているよ」と、自分でも不思議だった。

 タイガー・ジェット・シンとの一戦を「記者の目」ではなく「身内の目」で見ていた。もちろん原稿は普段通りに書いたが、冷や冷やしながら見守ってしまった。

 思えば、10歳しか違わないのに「おやじ」のような人でした。記者が結婚するとき、女房と2人で食事に誘ってくれましたね。「ここはしゃぶしゃぶがうまいんだ」と、何度も言う輪島さんを制して、ステーキをお願いしました。

 きっと、輪島さんはしゃぶしゃぶが食べたかったんですね。今でも思い出して、後悔しています。でも、ステーキもとてもおいしかったです。あの味、忘れられません。

 輪島さんの地元・和倉温泉の「日本一の名旅館」加賀屋には、何度かご一緒させてもらった。天皇・皇后両陛下がお泊りになった部屋を見学したとき、なんやかんやと話をするうちに、2人してうたた寝してしまいましたね。部屋からの眺め、すてきでした。

 引退後には、輪島さんの華麗な人脈を頼って「輪島の対談シリーズ」をスタートしました。プロ野球、プロゴルフ、プロボクシング、芸能界、財界…超一流の人たちとの楽しいひととき。食通だった輪島さんが選んだ対談場所の食事も最高でした。

「キャットフードを食べたって、本当なの?」
「ああ、冷蔵庫にあった缶詰を食べると、ツナ缶のようでおいしかった。でも、よく見たら、猫の絵が描いてあった」
「卒論は名前だけ書いたって?」
「名前だけは入試のときだよ。卒論は少し書いたよ」

 なんとも失礼な質問にもまじめに答えてくれましたね。

 たくさんの楽しい思い出が走馬灯のようにかけめぐり、笑顔になりますが、「もう輪島さんはいないんだ」と、切ない気持ちにもなります。

 輪島さん、いや「わ~さん」。天国の土俵で北の湖さんや貴ノ花さんとお相撲とっていますか? 天国のリングでジャイアント馬場さんやジャンボ鶴田さん、三沢光晴さんとコンビを結成していますか? 阿修羅・原さんとぶちかまし合戦していますか? 

「俺が死んだら、三途の川で鬼を集めて相撲を取る」というダンチョネ節があります。本当にやっているでしょう。丸い土俵でも四角いリングでも、大活躍している勇姿が思い浮かびます。もちろん、一番強い横綱でしょう。

 輪島さんが得意としていたゴールデン・アームボンバー。田上明さんがおはこにしていたが、現在は使う選手があまり見当たりません。誰か復活させてほしいところです。

「トレーニングパートナーをトレーニンウエア」「コレクトコールをコレステロール」と、言い切っていた輪島さん。とことんマイペースだったが、その気配りも横綱級で、「憎めない人、優しい人だった」で、皆さんが声をそろえる。輪島さんを思い浮かべると「笑みの花畑」が満開になります。

 話題は尽きず収録時間を大幅にオーバーしてしまった追悼番組は、10月23日(土)夜7時からラジオななお、ラジオたかおかで、24日(日)昼1時からラジオかなざわで、29日(金)夜7時からラジオこまつで放送予定。秘蔵音源も披露されるので、ご期待ください。

 きっと天国で、輪島さんも聴いてくれることと思います。

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