「おい、ドーム押さえろ」の一言で始まった「10・9」 今でも震える“26年前の熱狂”
今年も10月9日がやってくる。あなたは知っているだろうか? 26年前(1995年)の熱狂する東京ドームを。
1995年「10・9」 新日vsUインターの全面対抗戦
今年も10月9日がやってくる。あなたは知っているだろうか? 26年前(1995年)の熱狂する東京ドームを。
「10・9」といえば「1・4」「4・4」「8・8」「8・26」らと並ぶ、プロレスファンにとっては忘れられない日付。「1・4」は闘い初め。「4・4」はアントニオ猪木の引退記念日。「8・8」は猪木vs藤波辰爾の60分死闘。「8・26」は伝説のオールスター戦。ファンの数だけ思い出の日付がある。他にも、枚挙にいとまがない。
プロレスでは、表記は8月26日や8/26ではなく「8・26」。そして「ハッテン・ニー・ロク」という言い方をする。「どっちでもいいだろ。同じじゃないか」と主張する人と「違う! 8月26日じゃない! ハッテン・ニー・ロクだ!」と頑として譲らない人が大論争を繰り広げていた場面に出くわしたことがある。プロレスファンの日付へのこだわり、愛着を感じる。
また「あの頃の自分は……」と、ノスタルジーと甘酸っぱい思いが全身を駆け巡る人も多いのではないか。プロレスが人生を彩った人も少なくあるまい。
1995年10月9日の東京ドーム大会は、新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦に沸いた。新日プロ事務所の長州力とUインター事務所の高田延彦の電話対談で電撃決定した大一番。実は2人の緊急対話は、Uインター事務所の記者会見場にいた記者の携帯電話に、長州から「おい、高田はいるのか」と異例の電話が入り、始まった。え? 何? まさか……? あの時の緊迫感は決して忘れない。今でも背筋がゾクゾクしてくる。
長州の「おい、ドームを押さえろ」の一声で急きょ「10・9」東京ドーム大会が発進。1か月あまりでチケットは飛ぶように売れてプラチナペーパーと化していた。Uインターは分担された分を、早々に売り切ってしまった。なおも「どうにかして」という声が殺到し、困り切っていた。新日プロに頭を下げるのも、癪だったのだろう。ついには記者に「何とかして」と泣きついてきた。