26年ぶりに大阪城ホールに進出する女子プロレス 礎となった松永ファミリーのすごさを今こそ振り返る【連載vol.58】
スターダムが10月9日、大阪城ホールに初進出する。女子プロレスでは1995年の全日本女子プロレス以来26年ぶりとなる。
松永ファミリーのすごさとは?
スターダムが10月9日、大阪城ホールに初進出する。女子プロレスでは1995年の全日本女子プロレス以来26年ぶりとなる。
一方で、全日本女子プロレスをけん引していた長与千種が設立したマーベラスから3人の若手選手が離脱するなど、過去には考えられなかった団体間の移籍なども多い。
いずれにせよ、女子プロレス界が新たなステージを迎えたことは間違いない。
かつては全日本女子プロレスが一団体で人気を誇っていた女子プロレス界も、今では男子プロレス界と同様、多団体時代を迎えている。個性が際立った各団体は、それぞれ多くのファンを獲得し、楽しませている。
女子プロレスの礎を築いたのは、全日本女子プロレスを切り盛りした松永4兄弟であることに誰も異存はないはず。
全日本女子プロレスは松永4兄弟ら一家によって、1968年に旗揚げされた。2005年に解散するまでに、マッハ文朱さんを手始めに、ビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズらアイドルレスラーを次々とリングに送り出した。37年の歴史の中で、何度も女子プロレスブームを巻き起こした。
ビューティ・ペアが絶大な人気を集めた1970年代後半の全日本女子プロレスに身を置いた人が、松永ファミリーのすごさを語ってくれた。
オーディションに集まる何千人というプロレスラー志望の女子から、金の卵を選び出し、東京・目黒にあった道場&合宿所で育て上げる。まずは「先輩の話は聞け。後輩の面倒は見ろ。同期とは仲良くするな」と教えこむという。同期は近いうちにライバルとなる。迫力ある試合を展開するには、ケンカするぐらいの方がいいというわけだ。
道場の上に合宿所。お米は支給されても、おかずが用意されないこともあった。差し入れの肉などがあれば豪華な食事だが、時にはマヨネーズやタバスコをかけて食べる日も、あったようだ。そんな時はツナ缶が貴重な助けになった。「ごちそうが食べたいなら、強くなれ、スターになれ」という教えである。日々、ハングリー精神を養い、とことんプロ根性を叩き込んでいく。