【ズバリ!近況】79歳“東洋の魔女”は息子3人、孫8人 夫の介護しながら大阪・枚方の自宅で五輪観戦
東京五輪が幕を開け、日本選手の健闘をテレビで応援している人も多いだろう。どの競技も見応えがあるが、前回1964年の東京五輪では、何と言っても“東洋の魔女”が活躍したバレーボール女子の試合に日本中が沸いた。決勝戦の平均視聴率は66.5%と、スポーツ中継としては歴代最高を記録したほどだ。“東洋の魔女”の主力メンバー6人のうちの1人、松村(現・神田)好子さん(79)は回転レシーブが得意で、拾いに拾って日本を金メダルに導いた立役者の1人。松村さんは今、どうしているのか。大阪・枚方(ひらかた)の松村さんの自宅で話を聞いた。
夫の介護で「人生で今が一番苦労してるかも」
東京五輪が幕を開け、日本選手の健闘をテレビで応援している人も多いだろう。どの競技も見応えがあるが、前回1964年の東京五輪では、何と言っても“東洋の魔女”が活躍したバレーボール女子の試合に日本中が沸いた。決勝戦の平均視聴率は66.5%と、スポーツ中継としては歴代最高を記録したほどだ。“東洋の魔女”の主力メンバー6人のうちの1人、松村(現・神田)好子さん(79)は回転レシーブが得意で、拾いに拾って日本を金メダルに導いた立役者の1人。松村さんは今、どうしているのか。大阪・枚方(ひらかた)の松村さんの自宅で話を聞いた。(取材・構成=中野裕子)
枚方に住み始めたのは30歳のころです。26歳で結婚したとき、私の母が主人に「2年以内に家を買うこと」と約束させたので、主人がその約束を果たそうとして家を買ってくれたんです。この場所に決めたのは、私の実家が枚方の隣の交野市にあったので実家が近いのと、子どもらのための学校が近いこと、家の前の広い道路が気に入ったから。ここで3人の息子を育て上げ、今は主人と2人暮らしです。
主人とは64年の東京五輪の後、監督だった大松(博文)先生の紹介で勤めた、大阪のゴルフ用品卸の会社で知り合いました。主人は4歳上で、身長は170センチあった私より1、2センチ高いだけです。辛抱強く優しい人で、私が「やりたい」と言うことに反対しない人。去年6月、がんと分かり胃の3分2と胆のうを摘出する手術をしたので、それから、私は主人の介護が中心の生活です。お化粧もせずにTシャツを着て、主人を病院へ送り迎えしたり、高カロリー食を用意したり。人生で今が一番苦労してるかもしれません。主人は体力をつけるためにフィットネスにも通っているので、主人を送り出した後、家で1人でボケ~ッとしているときが一番の息抜きです(笑)。
子育てで苦労した記憶はありません。「勉強しなさい」なんて言ったこともないのによく勉強して、51歳の長男は外資系IT企業の会社員で川崎在住、野球をやってた49歳の次男は中国・無錫でLED関連会社を経営、45歳の三男は製薬会社勤務で兵庫・三宮で単身赴任中です。女の子を産めなかったのが、私の人生で一番残念なことですけど、26歳から小学校4年生までの孫が、8人のうち4人が女の子ですから幸せなことです。