「黄金の日日」「金八先生」でも活躍“アングラの女王”李麗仙さん 破天荒で太っ腹な素顔
アングラ演劇の第一人者として名をはせた李麗仙さん(本名・大靏初子、享年79)が6月22日に肺炎のため都内の病院で死去していたことが分かった。
李麗仙さんに語られる優しきファンサービス
アングラ演劇の第一人者として名をはせた李麗仙さん(本名・大靏初子、享年79)が22日に肺炎のため都内の病院で死去したことが分かった。
李さんは東京出身の在日韓国人2世。1960年代から唐十郎の劇団「状況劇場」に参加し、「腰巻お仙」「二都物語」「唐十郎版・風の又三郎」「女シラノ」などで看板女優として活躍した。
67年に唐と結婚し、翌年には長男の大鶴義丹を出産。その間、生活費を稼ぐために唐と共に金粉ショー(裸体の全身に金粉をまぶして行うダンスなどで構成するショー)のダンサーとして全国のキャバレーを回ったともいわれる。
75年に日本国籍を取得して、本名の李初子を大靏(おおつる)初子に改名。芸名はデビュー当初は星山初子だったが、のちに李礼仙となり、87年に李麗仙と1文字を変えている。
舞台とは別にNHK大河「黄金の日日」(78年)やTBS系「3年B組金八先生」の第4シリーズ(95年)など数多くのテレビドラマに出演した。
唐との二人三脚で人気を博すも、88年に離婚。唐は同年、状況劇場を解散した。
昔を知る舞台監督が言う。
「気風のいい姉御肌の人でした。状況劇場は午後7時に開演するが、その6時間前の午後1時に整理券を発行していた。その間、団員は小屋の中で稽古をしてるんです。李さんは早めの12時ごろに若い観客が並んでいるのを見ると、彼らが整理券を受け取ったあと、『稽古を見ていきなよ』とこっそり中に入れて見学させてくれた。お金のない学生の演劇ファンを大切にする人でした」
別の演劇関係者も李さんの気づかいを証言する。
「状況劇場では整理券の数字の順番にお客を入れていました。当然、数字が若いほどステージに近い席に座れる。李さんは熱心な観客がいると、1~10番のような数字の若いグループにもぐり込ませてくれたそうで、演劇ファンの語り草になっています」
2018年には元夫の唐の別荘からポスターを持ち出した件で山梨県警の捜査を受け、「腰巻お仙」「ジョン・シルバー」のポスターを押収されたことを報じられた。18年に脳梗塞を発症、以来リハビリに励んでいたという。
息子の義丹は25日、「唯一無二のアングラ女優人生を全うして、一片の悔いなき人生だったと思います」とのコメントを発表。破天荒で太っ腹な“アングラの女王”の死に、演劇界に悲しみが広がっている。