突然逝ってしまったジュニアの重鎮「青き閃光」青木篤志さんの三回忌を前に

「青き閃光」青木篤志さんの三回忌(6月3日)が間もなくだ。2019年、世界ジュニアヘビー級王者・青木さんは、交通事故で亡くなった。現役王者の突然の訃報は、マット界に大きな衝撃を与え、今でも深い悲しみは癒えない。

さわやかな笑みでファンの声援に応える青木篤志さん【撮影:柴田惣一】
さわやかな笑みでファンの声援に応える青木篤志さん【撮影:柴田惣一】

自衛隊出身の好漢「戦車も運転したことがある」

「青き閃光」青木篤志さんの三回忌(6月3日)が間もなくだ。2019年、世界ジュニアヘビー級王者・青木さんは、交通事故で亡くなった。現役王者の突然の訃報は、マット界に大きな衝撃を与え、今でも深い悲しみは癒えない。

 青木さんは高校生の時からアマレスで活躍。自衛隊時代にもタイトルを獲得し、05年にノアに入門した。13年に全日本プロレスに移籍して大暴れ。世界ジュニア王座を4回も戴冠し、ヘビー級の猛者が集うチャンピオン・カーニバルにも殴り込んだ。まさに「ジュニアの重鎮」として八面六ぴの大活躍だった。

 青木さんの功績を称え、全日本プロレスは青木さんが亡くなった後も、防衛期限が切れるまで、第51代世界ジュニア王者として認定していた。その後、横須賀ススム(第52代王者・DRAGON GATE)、CIMA(現54代王者・GLEAT)と、他団体へのベルト流出が目立っている。団体はもちろん、全日本ファンとしては何とも悔しい限りだろう。青木さんの想いを継ぐ者が、1日も早く奪回してほしいところだ。

 青木さんは若手選手のコーチをしていた。持ち前の指導力で、公私ともにとことん鍛え上げた。愛に裏打ちされた「鬼コーチ」で、人に厳しいだけではなく自分もきちんと律していた。激闘の後遺症であちこち痛めていたであろうに、一度も欠場していないのだから立派だ。

 3000試合連続出場の故ジャイアント馬場さんが「無事是名馬」と称せられたが、青木さんも「試合に穴を開けてはならない」というプロフェッショナルな姿勢を貫いていた。

 学校の先生から「厳しい指導をしないのは、生徒がかわいいのではなく自分がかわいいからだ」と聞いたことがある。厳しく接すれば、生徒は反発し、煙たがられる。「自分がかわいいから、嫌われたくないから、優しくする先生も多い」というわけだ。

 それは家庭のしつけでも、会社の上司にも共通する。甘やかすだけが愛情ではない。たとえ反発されても、相手のためを思って厳しく指導するのは、青木さんを見て「こういうことなのか」と、思ったことがある。

 いつ何時も、姿勢が良かった。キリッとした表情で、背筋が伸びていた。サンリオの展示会でお会いしたことがある。1人で来場していた青木さんは、いろいろなキャラクターの展示に相好を崩し、熱心に見入っていた。着ぐるみが近寄って来ると、遠慮がちに、しかしうれしそうにハイタッチしていた。

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