田中邦衛さんの大切な黒いカバン 「娘が初任給で買ってくれたんだよ」
誰もが一度は出会う「心に残る言葉」。時には励まされ、時には人生を豊かにしてくれる。そんな言葉の数々を紹介していく「山田雅人のことば」がスタートします。今回は、3月にお亡くなりになった田中邦衛さんからいただいた大切な言葉をご紹介します。
「山田雅人のことば」 第1回 田中邦衛さんの黒いカバン
誰もが一度は出会う「心に残る言葉」。時には励まされ、時には人生を豊かにしてくれる。そんな言葉の数々を紹介していく「山田雅人のことば」がスタートします。今回は、3月にお亡くなりになった田中邦衛さんからいただいた大切な言葉をご紹介します。
田中邦衛さんと初めてお会いしたのは1996年、渥美清さんがお亡くなりになり、8月13日に松竹大船撮影所で開かれた「寅さんのお別れの会」でした。
関係者でごった返している受付の列に並ぶと、僕の前にいたのは、邦衛さんだったんです。邦衛さんがふと後ろを振り返って僕を見るなりニコッと笑って「コンチハー!」と言ってくださいました。
僕は若大将シリーズから邦衛さんの大ファンで、心の中で“青大将だ!!”と思いながら「初めまして」とごあいさつすると「山田さん、実に良かったよ」と。なんと僕が出演した寅さんシリーズ「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」(47作目)や「新サラリーマン専科」といった出演作品を見てくださっていたんですね。
それだけでは終わらず、その年に娘と出演した番組まで見てくださっていて「見たよ。僕は君と君の娘さんのファンだよ。可愛いお嬢さんだね」と言って、次の言葉をいただいたんです。
「山田さん、家族がすべてだよ。大切にしなさいよ」
続けて邦衛さんは肩から掛けていた小さな黒いカバンを僕に見せてくれてこう言いました。
「このカバンはね、僕の宝物なんだ。うちの娘が初任給で買ってくれたんだよ。台本が丁度入る大きさなんだ。だからどんな現場に行く時も、どんな時でもこのカバンを持っていくんだよ」
そんな僕も今年還暦を迎えました。そこで娘から還暦祝いにとプレゼントしてもらったものがありまして、それが台本が丁度入る位の黒い肩掛けのカバンだったんです。「北の国から」の大ファンだった娘にいつも邦衛さんとの思い出を自慢げに話していたので、きっと娘も覚えていてくれたんでしょうね。
それから僕はどこに行く時でもこの黒いカバンを肩に掛けて出かけます。
3月24日、田中邦衛さんがお亡くなりになりました。本当にショックでしたが、あの時いただいた言葉と黒いカバンの縁をこれからも大切にしていきます。
□山田雅人(やまだ・まさと)、話芸家・タレント・俳優。1961年1月22日、大阪市大正区出身。落語でも漫談でも一人芝居でもないマイク一本とスポットライト一つの独自の話芸「かたり」の世界。スポーツ選手、映画、人物、名勝負など取材を重ね、隠れた人間ドラマの感動をマイク一本で語る。ABCラジオ「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」(月~木、午前9時~、山田は毎週火曜出演)放送中。4月17日午後6時半から大阪・ドーンセンターで「山田雅人かたりの世界『伏見工業高校ラグビー部物語』」を語る。