合わせてギャラは億単位!? ヒョードルがランペイジをKO殺!
日本時間の正午に開始となったベラトールジャパン(29日、さいたまスーパーアリーナ)。2015年末のRIZIN旗揚げ以来、お互いの契約選手による交流を続けてきた両者だったが、今回、ベラトールが待望の日本初上陸。年間30大会15か国で開催し、145か国に中継されている全貌を、ついに日本のファンの前に現した。
日本初上陸 12・29ベラトールジャパンを総括
日本時間の正午に開始となったベラトールジャパン(29日、さいたまスーパーアリーナ)。2015年末のRIZIN旗揚げ以来、お互いの契約選手による交流を続けてきた両者だったが、今回、ベラトールが待望の日本初上陸。年間30大会15か国で開催し、145か国に中継されている全貌を、ついに日本のファンの前に現した。
大前提の話として、本大会は本場であるベラトールの主力が登場する第1部の6試合と、RIZINの日本人ファイターを主軸に据えた第2部の8試合で構成。第6試合では、第1部のメインとしてエメリヤーエンコ・ヒョードル×クイントン・“ランペイジ”・ジャクソンの初対決を実現した。PRIDE時代は何度も同じリングに立ち、日本に縁のあるファイターでありながら、これまで交わることのなかった両雄が初めて拳を交わす。ベラトールの意気込みを窺わせるにはこれ以上ないカードとなった。
しかしながら蓋を開けてみればヒョードルの圧勝(1R 2分44秒 KO/右ストレート)。いや、あまりにもランペイジの調整不足が目立った一戦だった。
考えてみると、試合2日前のランペイジは記者との質疑応答の際、ヒョードルの弱点を聞かれ、「なぜそんなことを聞く! 私は彼のファンだ! 彼の弱点なんて答えられるわけがない! 尊敬している素晴らしいファイターだと思っている。彼の大ファンなんだよ」と発言。実はこの段階ですでに、ランペイジの闘志は鎮火していたのか? 唯一の見せ場は、PRIDEのメインテーマを使って入場を果たした場面になってしまったのだから寂しい限り。
一方、ヒョードルにとっては「日本ラストファイト」と謳われた一戦だったが、ランペイジを追い込んだ攻撃に一定の凄みが感じられはしたものの、往年の切れ味と比べてしまうと、どうしても「もうひと声!」と言いたくなってしまう自分がいたのも事実。
実際、PRIDEの代表を務め、現在はRIZINの主催者でもある榊原信行CEOは、「ノスタルジックな気持ちはなかった。我々は今を生きている。例えば15年若返ったとして2人と向き合っていたら、もっと殺伐とした、我々が見せたいものが見せられたと思う。これでは未来はない。句読点としてはいいし、メモリアルなイベントにはなったし、終えるための儀式としてはよかった。そういう意味では確認作業にはなった」と厳しい見解を示す。
さらに「あれでは今のファンが求める刺激には足りていない。躍動感を作り出さないと未来はない」とシビアに見たことを明かしたが、それでもこの1戦を含め、初ものであるベラトール見たさに第1部にはあふれんばかりの観客が押し寄せ、この試合が終わると同時に席を立った観客も少なくはなかった。
一説によると、両者のファイトマネーは合わせて億単位に到達するとの説もあるが、そういった噂や会場の現象を目の当たりにすると、果たしてヒョードルとランペイジというレジェンドは、役割を十分果たしたかどうかは、人によってその是非が分かれるところ。
ともあれ、ベラトールのスコット・コーカーCEOからの「往年の日本のファンへのプレゼント」(榊原CEO)だとするなら、その思いは素直に受け入れるべきではないか。そう思う。
ちなみにヒョードルは、決戦2日前の質疑応答の際、印象深い試合に、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦(04年に2度対戦し、1勝1無効試合)を挙げていたが、00年の初来日から考えると、実に19年もの長きに渡って日本に様々な戦歴と激闘を残してきた。その間、山手線の乗り方を熟知し、富士急ハイランドのジェットコースターにハマったヒョードル。
残りの試合に関してコーカーCEOは、「次は来年の夏か秋か。場所はヨーロッパまたは中東。最後は彼の締めくくりにふさわしく(ヒョードルの母国ロシアの)モスクワで20年年末か21年の始めに大会を開催する方向。それは「ヒョードルの状態がいい時に、彼の条件に合わせるべき」としている。
プーチン大統領も一目置く「ロシアンラストエンペラー」は、残された現役人生最後の2試合を全力で戦うことになる。