平成維震軍の原点「反選手会同盟」が令和で消滅 武骨で職人ぞろいの軍団旗「覇」はいずこに

「反選手会同盟」。1992(平成4)年に、越中詩郎、小林邦昭、木村健悟、青柳政司、齋藤彰俊によって、新日本プロレスに誕生したユニットに心が躍る人も多いはず。翌93年には、メンバーも増え平成維震軍と改名されている。

オリジナルメンバーで令和版の反選手会同盟のリーダー齋藤彰俊【撮影:柴田惣一】
オリジナルメンバーで令和版の反選手会同盟のリーダー齋藤彰俊【撮影:柴田惣一】

1992年誕生の「反選手会同盟」がいつ何時、どんな形で蘇るのか

「反選手会同盟」。1992(平成4)年に、越中詩郎、小林邦昭、木村健悟、青柳政司、齋藤彰俊によって、新日本プロレスに誕生したユニットに心が躍る人も多いはず。翌93年には、メンバーも増え平成維震軍と改名されている。

 発足当初は、その直接的なネーミングと泥臭さに、ファンも様子見だったが、武骨でひたむきなファイトを披露。じわじわと着実に人気を集め、一大勢力に発展した。新日本の本隊と激突しただけではなく、自主興行を開催するなど、単なるユニット以上の活躍をし、ファンの支持率は高かった。だが、本隊の矛先がUWFインターナショナル、NWOジャパンへと向くと、存在感は徐々に薄れ99年に解散。メンバーはそれぞれの闘いに散っていった。

 ただ、残したインパクトは大きかった。道着に丸刈り、まゆ毛までそり上げる選手もいたいでたち、特大の「覇」の旗を振るパフォーマンスなどで解散後も人気を集め、何度も復活マッチが行われている。

 原点である「反選手会同盟」を、令和になって名乗ったのがオリジナルメンバーの齋藤と、新たに道着をコスチュームとした井上雅央だった。ノアマットを舞台に暴れており、越中らが加わることもあった。

 ところが、3・21後楽園ホール大会で、令和版の反選手会同盟も消滅に追い込まれる。「ファンキーエクスプレス」モハメドヨネ、谷口周平組との「敗者ユニット吸収マッチ」に齋藤、井上組が敗れてしまった。

 文字通り、ファンキーな格好で踊るヨネと谷口。どちらかというと反選手会同盟寄りの谷口も「タニー」に変身しており、道着姿の齋藤、井上とは対極だった。

 一進一退の攻防の末、谷口のファンキープレス(ダイビングボディプレス)で井上がフォール負け。反選手会同盟はファンキーエクスプレスに吸収されることが決まった。

 平成のプロレス史に一時代を築いた反選手会同盟が消滅する事態となったが、齋藤は潔く「約束通りファンキーになってやる」と軍団入りを受け入れた。

 約30年、着用し続けた道着を脱ぎ、ファンキーな姿に変身する齋藤。「覇」の旗も見納めとなってしまうのか……。

 齋藤は「コロナ禍の中、反選手会同盟を応援してくれたファンの人たちもいる。その人たちとの約束もある。それもきっちりと果たしたいから、俺の中で継続はしていく。何かやっていく」とも発言。ファンキーになっても、反選手会同盟の魂は決して忘れないという。

 反選手会同盟がいつ何時、どんな形で蘇るのか、現時点ではまだ想像もつかないが、その反骨魂の復活が今から気になる。

次のページへ (2/2) 【写真】軍団旗「覇」を振り回す齋藤彰俊&白い道着が似合うレジェンド・越中詩郎
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