中村雅俊が被災した故郷に10年通って感じたこと「心の復興必要…俺たちの出番」【#これから私は】
2011年3月11日午後2時46分、俳優で歌手の中村雅俊が都内でドラマの撮影を行っていた時、ふるさとの宮城・女川町は東日本大震災によって甚大な被害を受け、思い出が詰まった街並みは一変した。いとこら親戚も3人犠牲となった。中村は、いてもたってもいられず1か月後にはレンタカーで宮城に向かった。車には食料など救援物資を積み込んだ。その後もコンサートやイベントで被災者を励ますなど継続して復興のために尽力してきた。この10年で感じたこと、同時にこれから必要と思うことを中村に聞いた。
東日本大震災から10年 新しい建物ができただけでは復興とは言えない
2011年3月11日午後2時46分、俳優で歌手の中村雅俊が都内でドラマの撮影を行っていた時、ふるさとの宮城・女川町は東日本大震災によって甚大な被害を受け、思い出が詰まった街並みは一変した。いとこら親戚も3人犠牲となった。中村は、いてもたってもいられず1か月後にはレンタカーで宮城に向かった。車には食料など救援物資を積み込んだ。その後もコンサートやイベントで被災者を励ますなど継続して復興のために尽力してきた。この10年で感じたこと、同時にこれから必要と思うことを中村に聞いた。(取材・文=中野由喜)
「復興は終わりのない旅。これから先も何年かかる、と言えないほどエンドレスのイメージがあります。壊れた建物や道路が復旧し、新しい建物ができただけでは復興とは言えません。これからはメンタルな部分というか、最終的には、そこに住む人たちが『また幸せが戻ってきたね』と言えるレベルにならないと。でも相当時間がかかると思います。そこで、これからが俺たちの出番だと思っています」
具体的にどんなことをやろうと考えているのか。
「自分が俳優であって歌手であって、もう一つ重要なのは女川出身という地元の人間という意識。地元の人間としてできるのは被災者の方々に寄り添うこと。歌手としてできることは、数少ない自分のヒット曲や故郷にちなんだ曲も作ったりしているので、歌ってメンタル的に潤いを与え、精神面でバックアップできたらと思います。歌には力があります。新しい曲も作れたらいいですね。被災された方々と一緒に昔話や未来の話をして寄り添いたいです」