ダンプ松本の壮絶人生のすべて 「命の危険を感じたことは何度もある」
女子プロレスラーで「極悪同盟」ダンプ松本の壮絶な人生を描いた書籍「ザ・ヒール極悪と呼ばれて」(小学館)が発売された。
平塚雅人著「ザ・ヒール極悪と呼ばれて」発売
女子プロレスラーで「極悪同盟」ダンプ松本の壮絶な人生を描いた書籍「ザ・ヒール極悪と呼ばれて」(小学館)が発売された。
≪言葉にできないようないじめを受けた後、必ず優しい言葉をかけてなぐさめてくれるのは、決まって悪役、つまりヒールの先輩だった。華々しいスポットを浴びて花束を受けるベビーフェースほど、素顔には裏と表があった。「悪役になろう」。≫
(本書「第7章 過酷な先輩たちのいじめ」より)
1980年代、女子中高生を熱狂の渦に巻き込んだ女子プロレス。その中心にいたのが、ダンプだった。中学2年生の時、マッハ文朱にあこがれ、やがて全日本女子プロレスに入門し、20歳でプロテストに合格。ところが、ようやくつかんだ夢の舞台は、苛烈(かれつ)を極めた。
バスで日本全国を回り、年に300試合近くこなすハードスケジュールのなか、自分はリングに上がれず雑用の日々。おまけに先輩たちのストレスのはけ口として、いじめの標的にされた。
紆余曲折を経てヒールに転向してからは、極悪同盟を率いて、当時、青天井の人気を誇った「クラッシュギャルズ」(長与千種とライオネス飛鳥のペア)と抗争を繰り広げた。クラッシュファンからの憎悪はすさまじく、自宅、自家用車、実家にまでその被害は及んだ。
≪命の危険を感じたことは何度もある。大阪城ホール(85年8月)の髪切りマッチで千種を丸坊主にした時は、試合後に極悪同盟のバスを500~600人のファンが取り囲んで車体を揺すりながら、「ダンプ出て来い!」と罵声を浴びせてきた。あの時はさすがに「殺される!」と思った。試合後に控え室に戻るときは、ファンを押さえていた警備員に顔面を殴られた。警備員が、だぞ。≫
(本書「第10章 進化するクラッシュギャルズとの抗争」より)
クラッシュギャルズが光なら、その光を色濃く強調するため、あえて陰となった極悪同盟。
それを率いていたダンプの心の葛藤とは…。
貧しい家庭に育ち抱えてきた母と父への思い、苦楽をともにしたレスラーたちの素顔、全日本女子プロレスのギャランティーや経営者一族とのあつれき、芸能界進出の現場で見たものなど、今だから話せる貴重エピソード満載の1冊。
著者は東京スポーツ新聞社の記者・平塚雅人氏。