「東洋の巨人」ジャイアント馬場さんにジェラシーを抱かせた「伝説のプロレスラー」の今
「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキ。歌舞伎の隈取ごときペイントにヌンチャク、そして毒霧を吹き上げる。日本人ですら、そのあまりにも、おどろおどろしいいでたちに圧倒されるのに、外国人はさぞや驚き、恐れたことだろう。
1月31日はジャイアント馬場さん命日
「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキ。歌舞伎の隈取ごときペイントにヌンチャク、そして毒霧を吹き上げる。日本人ですら、そのあまりにも、おどろおどろしいいでたちに圧倒されるのに、外国人はさぞや驚き、恐れたことだろう。
1981年1月、米ダラス地区に登場したカブキは、あっという間に米マットを席巻。オリエンタルブームを巻き起こした。83年2月に全日本プロレスに凱旋帰国すると、高まっていた期待を上回るパフォーマンスとファイトで、日本各地で話題沸騰。カブキ旋風が吹き荒れた。
あの「東洋の巨人」ジャイアント馬場さんがジェラシーを抱いたというから、その人気は本物だった。武藤敬司の化身グレート・ムタは「カブキの息子」として米マットで売り出され、これまた大変な売れっ子となっている。
現在の海外マットには「ムタに憧れた」というレスラーが多いが、たどっていくとカブキに行き着く。馬場さんは米マットで天下を取ったが、カブキもまた負けない実績を残している。
カブキは日本プロレスで64年、高千穂明久(本名・米良明久)としてデビュー。日プロ崩壊後、全日本プロレスに合流し、日米両国マットを股にかけ活躍。カブキに生まれ変わり、人気を博した。
その後、SWS、WARで暴れ、新日本プロレスでは平成維震軍に加わった。多くの団体で存在感を示しながら、得意の料理の腕前を生かし、居酒屋「串焼き・ちゃんこ かぶき」を経営していたが、2017年に現役を引退した。
現在は東京・文京区の「BIG Daddy 酒場かぶき うぃずふぁみりぃ」で、美味しい料理と軽妙なトークでファンを楽しませている。
日プロの先輩たちに始まり、全日本、SWS、新日本はもとより、日本マット史の生き字引らしく、多くの日本人選手の愉快な話に加え、外国人スター選手のエピソードなど、カブキトークの引き出しはまさに底なし。お店には笑いが絶えない。
ファン同士のプロレス話を笑顔で聞き、ナイスなタイミングで話に加わる。それが心地よいと熱心な常連も多い。
中でも十八番は、馬場さん夫妻の物まね。馬場さんだけでなく故・元子夫人の口まねも得意としている。馬場さんの好きだった新潟の歌を披露してくれることもある。「忘れないことが一番の供養だからさ。俺が話せば、みなさん思い出してくれるでしょ」と笑う。
泉下の馬場さん夫妻もきっと喜んでいることだろう。今でもファンの心の中に、馬場さんは生きている。昔のままの姿で……カブキの手料理をつまみながら、プロレストークを楽しむ。至福の時がそこにある。