【プロレスこの一年 #28】UWFの爆発的人気 インディーの誕生、猪木は政界へ 平成元年のプロレス
今から32年前の1989年1月、昭和天皇の崩御により、日本の元号が昭和から平成に移行した。時代の変遷に伴い、この年はプロレス界にも大きな変革が訪れた。その最たるものが、当時における屋内最大のスタジアム会場、東京ドームへのプロレス進出である。また、この年には大会場への初進出が目立った。令和3年を迎えた今、改めて89年(昭和64年&平成元年)のプロレス界を振り返ってみたい。
昭和から平成に…大きな変革が訪れたプロレス界
今から32年前の1989年1月、昭和天皇の崩御により、日本の元号が昭和から平成に移行した。時代の変遷に伴い、この年はプロレス界にも大きな変革が訪れた。その最たるものが、当時における屋内最大のスタジアム会場、東京ドームへのプロレス進出である。また、この年には大会場への初進出が目立った。令和3年を迎えた今、改めて89年(昭和64年&平成元年)のプロレス界を振り返ってみたい。
東京ドームへの進出を実現させたのは、やはり新日本プロレスだった。今でこそ新日本のドーム大会は1月4日(昨年と今年は5日との2連戦)で定着しているが、89年の1・4は佐々木健介がプエルトリコ、山田恵一が2度目となるイギリスへの海外武者修行に出発。山田はのちに実現するドーム大会にて、獣神ライガーに変身することとなる。2日後の6日にはメキシコから帰国した佐野直喜&畑浩和が後楽園ホールで凱旋試合。両者は遠征中の87年5月13日、新日本の元練習生で単身メキシコに渡った浅井嘉浩(のちのウルティモ・ドラゴン)のデビュー戦でタッグパートナーを務めている。8日には、新日本が7日の昭和天皇崩御により後楽園大会を延期。全日本や全日本女子も同様の措置をとり、日本中が喪に服した。
昭和から平成の新元号となり新時代を迎えると、新日本のアントニオ猪木がソ連(現ロシア)からのプロレスラー誕生に心血を注ぐ。2月11日に日ソ・プロレス協定の調印式が行われ、22日には両国国技館でソ連3選手によるエキシビションマッチが披露された。そして4月24日、前年3月に開場した東京ドームに新日本がプロレス界第1号で初進出。メインは猪木がソ連の柔道家ショータ・チョチョシビリを円形のリングで迎えたのだが、異種格闘技戦で初の敗北を喫するショッキングな結末に。また、サルマン・ハシミコフがクラッシャー・バンバン・ビガロを破る衝撃デビューを飾るなど、ソ連勢が大きなインパクトをもたらした。ライガーのデビューは元祖虎ハンター、小林邦昭からの勝利だった。
レッドブル軍団と呼ばれたソ連勢はその後も新日マットで活躍、5・25大阪城ホールではハシミコフがビッグバン・ベイダーを破りIWGPヘビー級王座を奪取してみせた。猪木は同大会でチョチョシビリへのリベンジに成功。ライガーは馳浩を破りIWGPジュニアヘビー級王座を獲得した。6月2日には、のちに新日本へ参戦する大相撲元横綱・双羽黒の北尾光司がプロレス転向を表明、アメリカに渡り、ルー・テーズの道場に入門する。
ソ連とのパイプを作り、現地格闘家のプロレス転向を実現させた猪木は新日本の社長を辞任、坂口征二を新社長とし、自らは政治の世界に進出することとなる。6月20日にはスポーツ平和党の結党を発表し、参議院選への出馬を表明。プロレス界の応援も得た猪木は7月24日の選挙で見事当選、日本で初めてのプロレスラー国会議員が誕生したのである。
猪木はこの年の大晦日、ソ連で初めてのプロレス興行をモスクワで敢行。猪木はチョチョシビリとのタッグを結成し、ブラッド・レイガンズ&マサ斎藤組と対戦した。ドーム、ソ連勢、そして政界への進出というように時代を変えた一年を、まさかの大会実現で締めくくったのである。