【その時音楽シーンが動いた #2】「引退紅白」瞬間最高視聴率84.4%を記録した都はるみ“伝説のラストステージ”

音楽シーンのターニングポイントとなった出来事の日付を「その時」と定義し、そこに至るまでの状況やその後に与えた影響などを検証するコラム「その時、音楽シーンが動いた」。第2回は国民的歌手・都はるみのラストステージとして話題を呼んだ伝説の紅白歌合戦を取り上げたい。(敬称略)

都はるみが最後の紅白で歌ったラストシングル「夫婦坂」
都はるみが最後の紅白で歌ったラストシングル「夫婦坂」

1984年(昭和59年)12月31日、都はるみが紅白歌合戦で20年の歌手生活に幕を降ろす

 音楽シーンのターニングポイントとなった出来事の日付を「その時」と定義し、そこに至るまでの状況やその後に与えた影響などを検証するコラム「その時、音楽シーンが動いた」。第2回は国民的歌手・都はるみのラストステージとして話題を呼んだ伝説の紅白歌合戦を取り上げたい。(敬称略)

 年内いっぱいで活動を休止する嵐がどんなパフォーマンスを披露するかで注目されている今年の紅白歌合戦。グループとしてのラストステージは、フジテレビ系で中継される「ジャニーズカウントダウンライブ」となりそうだが、今から36年前、紅白を花道に引退し(その後、復帰)最高瞬間視聴率84.4%を獲得した歌手がいた。その名は都はるみ――。「私に1分間、時間をください」、「ミソラ」発言などの名言(迷言)を生み、伝説となった1984年の「第35回NHK紅白歌合戦」は平均視聴率でも78.1%を記録した。

「都はるみ引退フィーバー」の幕は同年3月5日に上がった。この日、所属レコード会社の日本コロムビアで記者会見した都は年内いっぱいでの引退を表明。その理由を「歌手生活20年を機に女として違う道を生きたい」「今が歌手としてのピークで辞め時と思った。“枯れた歌唱”と言われたくない」と説明し、「ファンの方には残るステージを目いっぱい頑張ることでお詫びしたい」とコメントした。記者からの「普通のおばさんになるということですか?」の問いにうなずいたことで「普通のおばさん」は一躍流行語となった。

 その都は前回の東京五輪が開催された64年に「困るのことヨ」で歌手デビュー。3rdシングル「アンコ椿は恋の花」でブレークし、その後も「涙の連絡船」(65年)、「好きになった人」(68年)……とヒットを重ねていく。日本レコード大賞では、64年に「アンコ椿は恋の花」で新人賞、76年に「北の宿から」(発売は75年)で大賞、80年に「大阪しぐれ」で最優秀歌唱賞を受賞。レコ大史上初の3冠歌手となる。

 紅白には65年から19年連続で出場しており、歌手として最大の名誉とされる大トリも経験。83年には作曲家の岡千秋とデュエットした「浪花恋しぐれ」がオリコン3位の大ヒットを記録するなど、名実ともに歌謡界のトップに君臨していた。当時36歳。絶頂期での引退表明だっただけに、その衝撃は大きく、才能を惜しむ声が各方面から上がったのは当然と言えた。

 当の都は“サヨナラ公演”で全国を回りながら、9月30日に事実上のラストシングル「夫婦坂」を発表する。作家は出世作「アンコ椿は恋の花」と同じ星野哲郎(作詞)・市川昭介(作曲)の恩師コンビであった。「この坂を越えたなら しあわせが待っている」という、都自身の人生を重ね合わせたような歌詞で始まる同作は初登場56位のあとオリコンチャートを急上昇。師走に入ると各テレビ局で引退特番が組まれたこともあり、12月17日付けでトップ10入りを果たす。

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