プロレスのおかげで今がある レジェンド「稲妻」木村健悟氏の告白【連載vol.21】

「稲妻」は健在。元・新日本プロレスで大活躍し、現在は東京・品川区議会議員を務める木村健悟氏が、昭和、平成、令和のプロレス界を斬った。

新日本プロレス1980年(昭和55年)9・30日本武道館大会パンフレットより「期待の新星・木村健吾」【写真:柴田惣一】
新日本プロレス1980年(昭和55年)9・30日本武道館大会パンフレットより「期待の新星・木村健吾」【写真:柴田惣一】

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「稲妻」は健在。元・新日本プロレスで大活躍し、現在は東京・品川区議会議員を務める木村健悟氏が、昭和、平成、令和のプロレス界を斬った。

 3期目となった区議会議員活動も充実。高齢化社会を迎える中で「いかに健康寿命を延ばすか」を、主な活動テーマとしている。

 健康な体から要介護の間の「フレイル」状態に着目。加齢から心身の老いに陥るフレイルから要介護にならないための予防策などを区議会で質問。対策を提案するなど、フレイル問題にも積極的に取り組んでいる。

 自身も首と腰に難病を抱えており、万全とはいかないが、愛犬・ハオル君との散歩に勤しみ、体調管理に取り組み、健康マージャンに興じて頭の訓練も忘れない。

「67歳になった。健康問題も切実だし、フレイルは他人事じゃない。区民の皆様のお役に少しでも立ちたいね」と、議員の顔がすっかり板についている。

 街頭演説中に「イナズマ!」と、声をかけられることもしばしばだが、木村氏は1972年に日本プロレスに入門し、翌年に新日本プロレスに合流。憧れだったアントニオ猪木氏の元で、修行に励んだ。

 ライバルだった藤波辰巳(現・辰爾)との抗争では、伝説のワンマッチ興行(87年1月14日東京・後楽園ホール)も実現。得意技の「稲妻レッグラリアート」で人気を集め、平成維震軍としても暴れ回った。

 2003年に現役引退し、スカウト部長などを歴任。06年に新日本プロレスを退社後は、リサイクルショップを開業するなど、実業家として活動。11年に品川区議会議員選挙で初当選している。

「プロレスラーとしてやらせてもらったから、今の自分があるんだよね。先日も猪木さんとお会いしたけど、まだまだ元気で頑張ってほしいよね」とニッコリ。

 現役時代には、柔和な人柄と甘い歌声で「全国各地の巡業先に彼女がいる」と都市伝説になるほど、女性にモテていたが、本人は苦笑いで否定。「ジョージ高野にはかなわないよ」とウインクした。

 現在のプロレス界をつぶさにチェックしているわけではないが、OBとして気にならないと言ったらウソになる。「ファンの人たちが納得するかどうか。自分たちの頃は、まるであやとりの様に互いに技を切り返し合って『あやとり殺法』なんて、呼ばれたもの。格闘技も習得していた。殴り合い、蹴り合いが原点。派手な大技も必要だけど、要はバランスじゃないかな。大技の連発もいいけど、一撃必殺も大事。それは技を大切にするということ」と指摘する。

 新日本プロレス道場での合同練習を「今思い出しても、キツかったけど、あのおかげだね。スクワットを1000回、時には3000回を、まずやり遂げてから、始まるんだ」と振り返る。

 地獄のトレーニングと例えられた厳しい練習に耐えたからこそ「体も心も強くなった」と、遠い目をして懐かし気だ。

「力道山先生、猪木さんと受け継いできた日本のプロレスが、ますます繁栄するために、自分も手伝えるなら」と、木村教室の開講も考えている。「心技体。言葉で伝えられることもある」と、手ぐすねを引く木村氏の今後から目が離せない。

次のページへ (2/2) 【写真】品川区報を手に区政を語る木村氏
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