【追悼・小松政夫さん】「本当に幸せ者です」植木等という親父に育てられた昭和の喜劇人

クレージー・キャッツの植木等の付き人を務め上げた後、日本有数のコメディアンとして活躍した小松政夫さんが12月7日に逝去されました。伝説のバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」(1961年~72年、日本テレビ系)を皮切りに、伊東四朗とのコンビで「デンセンマン」や「しらけ鳥音頭」が人気を博した「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」(76~78年、テレビ朝日系)など数多くのテレビ番組や、映画、ステージでも観客を大いに沸かせた稀代のエンターテイナー。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」でお馴染みの淀川長治の秀逸なモノマネや、「どーしてなの、おせーて!」「ながーい目で見てください」「小松の親分さん」などギャグの宝庫でした。私小説「のぼせもんやけん」が原作となったドラマ「植木等とのぼせもん」(2017年、NHK総合)の放映はまだ記憶に新しいところでしょう。

質問1つ1つに丁寧に、時にお茶目に答えてくれた小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】
質問1つ1つに丁寧に、時にお茶目に答えてくれた小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】

芸能生活50周年を迎えた2016年、最初で最後のCDデビュー

 クレージー・キャッツの植木等の付き人を務め上げた後、日本有数のコメディアンとして活躍した小松政夫さんが12月7日に逝去されました。伝説のバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」(1961年~72年、日本テレビ系)を皮切りに、伊東四朗とのコンビで「デンセンマン」や「しらけ鳥音頭」が人気を博した「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」(76~78年、テレビ朝日系)など数多くのテレビ番組や、映画、ステージでも観客を大いに沸かせた稀代のエンターテイナー。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」でお馴染みの淀川長治の秀逸なモノマネや、「どーしてなの、おせーて!」「ながーい目で見てください」「小松の親分さん」などギャグの宝庫でした。私小説「のぼせもんやけん」が原作となったドラマ「植木等とのぼせもん」(2017年、NHK総合)の放映はまだ記憶に新しいところでしょう。

 16年の秋、芸能生活50周年を記念して久々にレコーディングされたシングル「親父の名字で生きてます」がリリースされました。その際のインタビューをENCOUNTに再掲載させていただきます。新曲についての話題を中心に、かつてのテレビ番組や、師・植木等への想いも語られています。晩年は喜劇人協会の会長も務め、常に笑いを追求し続けた偉大なるコメディアンに改めて追悼の意を表する次第です。(取材日:2016年10月19日)

──かつて「しらけ鳥音頭」(※)などを出された古巣のレコード会社さんからの発売というのが非常に嬉しゅうございます。
※77年リリースのシングル。テレビ朝日系バラエティー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のコント・コーナーで、〈しらけ鳥〉なるマスコットを手に小松が歌い、お茶の間で人気となる。

「いやあ、ここまで来るとは思わなかったもので。決して軽く考えていたわけじゃないんですけどね。まさか実現するとは思わないものですからね。皆さんの執念と言いますか、“きっとお前に歌わせてやる”というような話を最初からしてましたからね。それはもう3年ぐらい前からあった話で。ちょっと歌ってみないかと言われて、詞を書いてくれた相田(毅)さんが試験的に録音してくれたんですよ。早い話がもう飲み仲間になってましたから。飲みながら“出来るといいね”なんて話してたものがここまで来て。とうとう発売の運びになっちゃって」

──嬉しさと驚きが同時というようなお気持ちなのでしょうか?

「コミックソングならまだしもね。でも『電線音頭』の狂気はもうないですから(笑)。山藤章二さんに“狂気を秘めた普通人”なんて書かれたことがありましたけれども。これは僕としてはとても気に入っている言葉なんですよ。普段は平静を装っているんだけど、何かあると狂気じみたことをやるという。ところが今度の歌は狂気じみてないですよね。こういう切々たる思いの歌というのはね、自分の歌では初めてかもしれない。めったに行かないですけれど、たまにカラオケに行くと知らないうちに『しらけ鳥音頭』とか『小松の親分さん』を入れられて。そうなるとやはり歌っちゃうわけですが、そうじゃなくて自分から歌うとしたら、例えば河島英五さんの『野風僧』なんかが1番好きなんです。詞も曲もいいんですよ。それを自分なりにアレンジして歌う。河島さんには人に聞かせる河島節ってのがちゃんとあるでしょう。
 ところが私のヤツには、小松節なんてものはありもしない。例えば前川清さんなら“女ご~ころのぉ~♪(物真似入る)”なんてすごい個性でしょ。そういうのは無理だから。とにかくしんみり歌うしかないなと思いまして。そしたら皆が、十分小松節になってますよと言うので、これはこれでいいのかと思いましたね。
 余談になりますが、クールファイブが初めて出てきたときに私が司会をやったんですよ。たしか九段会館でしたかね。私はコメディアンだから司会は嫌だと渡辺プロにいつも抵抗してたんですが、当時の会社は歌手ばかりで私みたいなのがあまりいなかったものだから、いつもお役目が回ってきましてね。『さあ、今年最大のホープ! 渡辺プロがお送りするこのメンバー! 内山田洋とクールファイブ!……でいいんだっけ?』なんていう(笑)。まだ新人で誰も知らない頃でしたからね。それがあんなすごいグループになっちゃって。私とは道が違いましたけど、前川さんは欽ちゃんと一緒にやったりして、遊び心もある方ですよね。おかげ様で私はあの方の物真似でずいぶんと優勝させてもらいました」

──さらに今回は園まりさんとの「あんたなんか」を植木等さんから歌い継がれて。

「そうなんですよ。新曲の作曲もしてくれた合田(道人)さんの提案で、親父(=植木等)が50年前に園まりさんと一緒に歌ってた曲を吹き込むことになったんです。これは安井かずみさんと宮川泰さんが作った曲でしょ。素晴らしいですよ。それで私は園まりさんには特別な思いがありまして。昭和43年頃でしたかね、植木の付き人を務めた後、タレントとして渡辺プロと契約して。そのとき、日劇の『園まりショー』で初めて共演したんです。
 私よりも若いんですが、園まりさんの方が先輩だったから(本名の)薗部さんって呼んでて。今回も久々に会って『薗部さーん!』って(笑)。十何年ぶりでしたけど、綺麗だし若々しいし、変わってなかったなあ。でも植木がこの歌を吹き込んだときは一緒に歌ったんじゃないんですよ。それぞれ忙しいから別々の録音だった。
 その頃はちょうど付き人をやってるときだったから覚えてるんです。だから節回しも諳(そらんじ)てましたね。今回は園まりさんとちゃんと一緒の録音でしたけど、彼女は『こんなきれいごとで歌ってたんだあ。今はもっと男心が解かるから歌い方が違う』って言ってました。実際、前よりも強い感じの女の人になりましたね。それに対する私の掛け合いの部分も意識して自分なりにアレンジしたんです」

──ここは小松さんのお馴染みのフレーズの聴かせどころになっていますね。

「植木が『え?』と言うところを『上手だね!』と言ったりして。『ワリーネ、ワリーネ』とか。それとね、声が似てるんで笑っちゃったんですよ。終わってからあらためて聞いてみたら“これは植木等の声だなあ”って。自分で言うのもなんですけれどね、“あれ? 真似してるわけじゃないのに、自然とそういう味に染まっていたのかなあ?”と思いましたね。
 本人はいつも言ってました。『俺の真似したってつまらない。お前の個性が大事なんだ。師匠に似てきましたね、なんて言われるのはあまりいい傾向じゃないぞ』って。『物真似がうまいのは観察力が鋭いということだからとてもいい。だけど俺の真似をしてもしょうがないんだ』とね。だから植木が座長で私も端役で出たりしたときは、ほかの人の芝居をよく見て、あの人の芝居は好きだなと思ったら、その人は自分に合っているんだから真似をすればいいという考えです。とにかくいろんなことを教わりましたよ」

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