全盛期を経てバー経営16年 矢部美穂が語る「地味に生き残る」生き方と50代への伸びしろ
タレントの矢部美穂は16歳で芸能界デビューを果たし、来年で34年目を迎える。「中学校の頃はいじめられっ子でした」。そんな彼女は、この世界に飛び込んで自分でも驚くほど変わったという。人生の転機、そして50代のステージに対する思いを聞いた。

グラドル時代の全盛期はレギュラー5~6本
タレントの矢部美穂は16歳で芸能界デビューを果たし、来年で34年目を迎える。「中学校の頃はいじめられっ子でした」。そんな彼女は、この世界に飛び込んで自分でも驚くほど変わったという。人生の転機、そして50代のステージに対する思いを聞いた。(取材・文=小田智史)
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北海道出身の矢部は、中学卒業と共に上京。1993年にデビューして一躍トップグラビアアイドルになると、日本テレビ系バラエティー番組『スーパーJOCKEY』の熱湯コマーシャルで人気を不動のものにした。
数々のテレビ番組に出演して“売れっ子”となったが、「中学校の頃はしゃべれない子で、いじめられていました。だから、もう全くの別人です(笑)」と振り返る。
「私は長女で下に3人(弟、妹2人)いるので、家族の前では偉そうにできていたんですけど、学校という世界が絶望的に合わなくて(苦笑)。自分を出せなくて、本当に暗い子でした。勉強もできず、得意なこともなかったので、自分を表現できる居場所がありませんでした。ただ、『見返してやりたい』と思って目指した芸能界がなぜ合ったかを考えると、(地元の)北海道に帰ったら『負けた』『やっぱり無理だったじゃん』と言われるのが嫌で。当時はアイドルが20人、30人出ている番組でも、目立つようにがむしゃらにやっていました。自分でも『芸能人になってこんなに変わるのか』というぐらい変わったと思います」
グラビアアイドル時代、そしてバラエティー番組に多数出演していた時期は自分としても手応えがあったという。
「若い時はグラビアにいっぱい出て、グラビアで名前が知れて、バラエティーにも呼ばれるようになって、頑張ってキャラを作って、レギュラーが5、6本の時が“全盛期”だと思います。学園祭にも行ったし、コマーシャルにも出ていました。売れていた時期で言うと5、6年。そこから結構大変でしたけど、ありがたいことにレギュラーが途切れず1個はあったので、なんとかアルバイトをせずに食べていました」

人生を変えた「YABEKE」の立ち上げ
2010年に東京・世田谷にバー「YABEKE」をオープンしたことも、転機の一つになった。バーをやろうと思い立ったのは、失恋がきっかけだった。
「結婚したいぐらい好きな人がいましたがかなわず、お酒を飲めないのに、毎日グチを聞いてもらうために六本木とか西麻布のバーに通っていた時期がありました。でも、これじゃあ矢部美穂らしくないと思って、お母さんがスナックの経験者だし、妹たちもかわいいので、自分のお給料をかき集めて、サポートもしていただきながらバーを始めました。『いい女になってもう付き合ってみせる』という思いでやっていたんです。その後、8年かかって実際に付き合いました。ご縁がなかったのでお別れしましたけど、自分の中ではすごくすっきりしました(笑)」
経営者となってすでに16年が経過。「こんなに長くやるとは思っていませんでした」と率直な思いを明かす。
「このお店がなかったら、(10月26日にデュエット曲を配信リリースする)たぶん大事MANブラザーズの立川(俊之)さんにも会っていないですし、旦那さん(騎手の山林堂信彦)も含めて今お付き合いのある方はほとんど『YABEKE』からの流れなので、きっとまた全然違う人生を送っていたと思います」
昨秋、ママとして店に立ってきた母・文子さんが脳血管認知症と診断されたことを公表したが、「YABEKE」は家族にとっても心のよりどころになっているという。
「母は認知症と診断されたのですが、お店には立っているので(症状の)進行もゆっくりで。家族はみんな近くに住んでいるし、絆も強いので、環境がすごくよかったんです。あと、飲食は長く続けていると、新規のお客さんは減っていくものですけど、今年から新規のお客さんがどんどん入ってきてくださって。大手(の事務所)にいるわけでもないので、私は本当引きが強いんです(笑)。『引きと引き寄せの法則』と最近言っていて、自分でも怖いぐらいハンパないです(笑)」

心に響いたビートたけしからの「君は大丈夫」
矢部は2022年5月、騎手の山林堂信彦と結婚。過去のインタビューでは「48、49(歳)くらいまで結婚しない」「まだいいです」と回答していただけに、自分でも「(結婚)すると思わなかったからびっくりです」と笑う。
「旦那さんはジョッキーで川崎(在住)なので、私は『YABEKE』と家を行ったり来たりなんですけど、もう8割方は世田谷にいます(笑)。でも、それが私の性格にすごく合っていて、旦那さんも『全然いいよ』『信用しているから』と言ってくれるいい人だから、うまくいっている。べったり家にいたら私はダメな人なので。ちょうどいい距離感で刺激がある。ジョッキーで月に1回、調整ルームに1週間入って、携帯電話も使えないから、1回だけ会いに行ったり、競馬場に行ってみんなで応援したり、そういうのが楽しいです。結婚していますけど、恋人みたいな感じというか。それが私には理想だし、このドキドキ感を一生持っていたいと思っています」
芸能生活も来年で35年。これまでのキャリアで言われてうれしかった言葉、大切な言葉とは――。
「ビートたけしさんに『スーパーJOCKEY』を卒業する時、『君は大丈夫だよ』といただいたひと言はうれしかったです。(作曲家の)平尾昌晃さんには『歌わないの?』と聞かれ、『私、歌えないんですよ……』と答えたら、『君は華がある』と言っていただきました。あと、(レギュラー出演していた)『アウト×デラックス』の収録中に『これからの人生悩みます』と発言したら、マツコ・デラックスさんに『あんたは大丈夫よ! やっていけるわよ』と。このお三方に言われたら、自分は大丈夫なんだと信じますよね(笑)」
人生は何が起こるか分からないとはいえ、“引き”の強さを自負する矢部は、直近で想像を超える話が舞い込んできたという。
「今はまだ詳しくは言えないのですが、とある地上波連続ドラマの撮影中なんです。私にゲストのお話が来ること自体が『奇跡』だと思っていて、衣装合わせで感情があふれ出てしまって思わず泣いちゃいました」
酸いも甘いもかみ分けてきただけに、「芸能界は“見せ方”です。長くやってきて、それが分かるようになりました」と語る。
「矢部美穂は、これからもきっと(芸能界で)生き残り続けていくんだろうなと客観的に思います。中には『いや、もういないじゃん』と思っている方もいるかもしれません。でも、今年4月、7月に歌手でもないのにライブを開催して、たくさんの方が集まってくださって、私は恵まれているんだなと改めて感じました。もう若くないし、グラビアも一切やってないし、そんなにメディアにも出ていないのにファンの方が増えているということは、今からの伸びしろがまだあるんだなって(笑)。だから、50代にどう成長していくか、変わっていくか自分でも楽しみですよね。私は70歳くらいまで(芸能の仕事を)やっているんだろうなと。私は常に今を生きていて、今を生きないと未来はないので、地味に生き残るはずです(笑)」
素の自分を包み隠さず、そしてハッピーオーラで人々を惹きつける魅力を持つ矢部の今後からも目が離せない。
□矢部美穂(やべ・みほ)1977年6月7日、北海道生まれ。アイドル雑誌『Momoco』のオーディションでグランプリに選ばれ、16歳で芸能界デビュー。その後、グラビアを中心に活動し、ドラマ、映画、CM、数々のバラエティー番組出演を重ねた。2010年に東京・世田谷にバー「YABEKE」をオープン。22年、騎手の山林堂信彦と結婚。156センチ。血液型A。
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