難民暮らしも経験した加藤登紀子、ロシアのウクライナ侵攻で思い出した“母の言葉”

2022年3月11日。東京・日比谷公園で行われた東日本大震災の追悼イベントに歌手の加藤登紀子(78)の姿があった。真っ赤なエレキギターを手に披露した新曲「声をあげて泣いていいですか」はコロナ禍に生まれた曲。〈♪愛する故郷(くに)に二度と戻れない人に〉と歌う声に、東日本大震災で生まれ育った町に戻れない被災者や、ロシア軍による侵攻で国を後にしたウクライナの人たちの姿が重なった。

ウクライナ支援のためチャリティーCDを制作した歌手の加藤登紀子【写真:山口比佐夫】
ウクライナ支援のためチャリティーCDを制作した歌手の加藤登紀子【写真:山口比佐夫】

コロナ禍に生まれた新曲を収めた最新作、売り上げ金でウクライナを支援

 2022年3月11日。東京・日比谷公園で行われた東日本大震災の追悼イベントに歌手の加藤登紀子(78)の姿があった。真っ赤なエレキギターを手に披露した新曲「声をあげて泣いていいですか」はコロナ禍に生まれた曲。〈♪愛する故郷(くに)に二度と戻れない人に〉と歌う声に、東日本大震災で生まれ育った町に戻れない被災者や、ロシア軍による侵攻で国を後にしたウクライナの人たちの姿が重なった。(取材・文=西村綾乃)

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 精一杯生きて力尽きた人、戦わずにここを立ち去った人、昨日までの全てを失う人へ――。「声をあげて泣いていいですか」と歌う新曲は、娘や孫らと会うことが難しくなった昨夏、自宅からたった一人で、東京五輪の開幕を祝う花火を見上げた夜に生まれた。

「家族にも会えず、一人で空を見上げる時間が増えていました。国立競技場の上空に広がる大輪を見て、『こんなの寂しいよ。みんなどうしているの?』と涙がこぼれました。五輪中には親しくしていた『センチメンタル・シティ・ロマンス』の中野督夫さんも亡くなって。その追悼の気持ちもありました」

 書いては消して生み出した歌詞。昨年12月に大阪で発生した医療機関への放火事件は、〈♪突然の運命にさらされる人に〉という言葉に繋がった。ギターを手に歌い始めてから半年後、思いもよらないことが起こった。

「ロシア軍によるウクライナへの侵攻です。歴史と言う教科書に学ぶことはなかったのかと、憤りがありました。国境を越えて逃げていく人たちの姿を、身を切られるような思いで見つめました」

 1943年に旧満州のハルビン(中国東北部)で生まれた加藤。現地で終戦を迎えた後、約1年の間、母や兄らと難民生活を経験した。

「終戦を迎えたのは1歳8か月の時。戦地に行っていた父は不在でした。守ってくれる国も部隊もない中で始まった暮らし。何としても生き抜かなくてはいけないと奮起した母は、『国が違っても、人間として向き合えば分かり合える』と略奪をしに来たソ連兵にも毅然とした態度を見せていました。心が通じたのか、ビスケットを持って来てくれたこともありました」

 ロシア語を学んだ父は帰国後に、東京でハルビンの街の中を流れる川から命名したロシア料理店「スンガリー」を、1972年には京都でウクライナの首都の名を持つレストラン「キエフ」を開業。ロシアやウクライナ人のコックらを呼び寄せた。加藤は店で働いていたロシア人女性から、運命を変える曲を教わった。

「ラトビアの作曲家が作った曲に、ロシア人のアンドレイ・ヴォズネセンスキーが詞をつけ、た『百万本のバラ』でした。母国でありながら反体制的な思想を持っていたヴォズネセンスキーの詞を、ロシア人の女性歌手が歌った曲。この曲が支持された背景には『新しいロシアを作って行こう』『自由であることを夢見続けよう』という人々の希望が込められていたと思います。彼らにとって音楽は生き抜く力になったんです」

 加藤はグルジア(現・ジョージア)の画家が女優に恋をしたという逸話を基にした歌詞を翻訳し、86年から歌っている。ヴォズネセンスキーからも「世界中で歌って」と託されたという。

「国にできなくても、人にはできることがあるはず。人にできなくても、音楽にできることがあるはず。作った音楽の中に、未来への夢を残したい」

 新曲「声をあげて泣いていいですか」などを収録したアルバム「果てなき大地の上に」の売り上げ全額を、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を通じて、ウクライナの支援活動に充てることを決めた。

「戦争が終わった街に生まれて来る子どもは希望です。親交があった(医師の中村)哲さん(2019年に死去)は人々は耕して生きる場所を持っていれば、生きることができると言っていました。それを奪ってはいけないと。母も戦火を生き抜いたからには暮らしを再建しなくてはと話していた。戦争は終われば終結ではなく、復興には時間がかかります。生まれて来る命を支援し続けたい」

 7曲入りのCDには、ジョン・レノンの名曲「イマジン」や、「百万本のバラ」なども収録した。「ジョンが歌う言葉を『夢のようなこと』と笑う人もいるかもしれない。でも世界中のみんなが同じ夢を願えば、それは現実になる」。

 6月18日に東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで開くステージ「加藤登紀子エターナルコンサート2022」に向け、7時間にも及ぶリハーサルをこなす日々。「集大成のコンサートを見せたい」と意気込んでいる。当日はストリーミング配信(https://www.bunkamura.co.jp/streaming/article?id=20220629)も予定している。

 公演やCDの問い合わせ先は「トキコ・プランニング」(03-3352-3875)へ。

□加藤登紀子(かとう・ときこ)1943年12月27日、満州国(現・中国)生まれ。東京大学在学中の65年に「第2回日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝し歌手デビュー。翌年「赤い風船」でレコード大賞新人賞を獲得した。「ひとり寝の子守唄」(69年)、「知床旅情」(71年)の2作品ではレコード大賞歌唱賞を受賞。国内外でコンサート活動を行うほか、女優として映画「居酒屋兆治」(83年)にも出演。宮崎駿監督のアニメ映画「紅の豚」(92年)では声優も務めた。155センチ、O型。

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