「最強の日本人レスラー」はやはりジャンボ鶴田さんか 23回忌に振り返る伝説の数々

5月13日は49歳で亡くなったジャンボ鶴田さんの22回目の命日だった。2000年に肝臓移植手術中に亡くなっている。あまりに若かった。31日には東京・後楽園ホールで「23回忌追善興行」のゴングが鳴る。

ヘッドロックを決める若き日のジャンボ鶴田さん【写真:柴田惣一】
ヘッドロックを決める若き日のジャンボ鶴田さん【写真:柴田惣一】

00年に肝臓移植手術中に亡くなったジャンボ鶴田さん

 5月13日は49歳で亡くなったジャンボ鶴田さんの22回目の命日だった。2000年に肝臓移植手術中に亡くなっている。あまりに若かった。31日には東京・後楽園ホールで「23回忌追善興行」のゴングが鳴る。

 リングで大暴れしているころから「怪物、最強」と呼ばれていたが、現在も「最強の日本人レスラーは誰?」と問われると、鶴田さんの名前を挙げる人も多いのではないか。

 実際に、強さは本物で、1983年には当時の世界3大タイトルのひとつ、AWA世界ヘビー級王座を獲得。日米両国マットを股にかけて大暴れしている。今でも王道・全日本プロレスの象徴である3冠王座の初代王者は鶴田さんである。内臓疾患を患い、最前線から一歩引いたが、99年に現役引退するまで活躍し続けた。

 ファンの目が届かない試合後の控室でも、息を荒くしている姿を見ることはなかった。激闘の直後なのに、時には笑みを浮かべながら、スポーツマンライクなコメントを残してくれた。そのタフさ、スタミナ、すべてが桁外れだった。いつも余裕たっぷりで「この人は次元の違うところで闘っている」と何度も驚かされたものだ。

 72年ミュンヘン五輪のレスリング代表から、全日本プロレス入りした鶴田さんだが「プロレスは僕に最も適した職業と思い、尊敬する馬場さんの会社を選びました」と入団会見で発言したことが、すべてを物語っている気がする。

 当時のプロレス団体入りとは「入門」すること。プロレスラーに憧れた若者が、新弟子として加わり、修行を重ね必死にデビューする日を目指す。その道のりは決して平坦ではなかった。途中で挫折する者の方がはるかに多かったのだ。

 いくら五輪代表という金看板を持ち、体格にも才能にも恵まれた“エリート”であり、トップレスラーへのレールが敷かれていたとはいえ、鶴田さんはプロレス界入りを「就職」と捉えていた。ましてや時代は昭和である。それまでの「プロレス界の常識」を鶴田さんは、第一歩で風穴を開けた。いわば革命である。

 もっとも鶴田さんにしてみれば、決意を正直に伝えたのみ。気負いもなければ、気の利いた一言を残したい、などという思いは微塵もなかったはず。後々になって、85年頃から使われ始めた「新人類」(従来なかった考え方や感じ方をする若い世代を、新しく現れた人類とみなした)を引用し「僕は新人類の走りなのかね」と苦笑いしていたものだ。

 ジャイアント馬場さんもそんな鶴田さんを押さえつけることはせず、のびのびと育てあげた。強さも潜在能力もスケールも怪物そのもの。一方で欲のなさもスター気取りのなさも怪物級で「永遠の若大将」という異名も持っていた。

師であるドリー・ファンク・ジュニアとジャンボ鶴田さん【写真:柴田惣一】
師であるドリー・ファンク・ジュニアとジャンボ鶴田さん【写真:柴田惣一】

 85年8・5大阪城ホール大会で、長州力が「馬場、猪木の時代は終わった。これからは俺たちの時代だ!」と、世代交代をアピールしたときも、鶴田さんは「今はまだまだ馬場さん、猪木さんの時代です」とあっさりと言ってのけている。

 あの頃のプロレス団体は、馬場と猪木という社長レスラーが絶対的な権力を持っており、確かに鶴田さんの言う通りだった。とはいえ、組織に反抗もできない世のサラリーマンたちは「非日常」をプロレスに求めており「鶴田の言動は現実的過ぎて夢がない」という意見が大きかったことも事実だ。

 全日本ファンは「ジャンボ」、新日本ファンは「鶴田」と呼ぶことが多く、その呼び方でどちらの団体のファンかすぐわかると言われた。

 また、それまでのプロレスラーのイメージを覆した鶴田の言動を「今風の若者で格好いい」と絶賛する全日本ファンに対し「サラリーマンか! 確かに仕事かも知れないけど、あまりにお仕事感を出されるとシラける」と新日本ファンは反発していた。

 馬場VS猪木の続きが、弟子の鶴田VS藤波に引き継がれたということだろう。鶴田VS藤波を望む声が何度も上がったが結局、2人が対戦することはなく、夢の対決で終わってしまった。「見たかった」という人、「いや、夢は夢のままで終わって良かったのでは」という人、今でもさまざまだ。

 世間の常識をわきまえていた鶴田さんが病に急逝することなく、プロレス界に戻ってきていたら、オーナー企業に支えられた団体や、数えきれないほどの団体が存在するなど、すっかり様変わりしたプロレス界を、令和流に統制してくれたのではなかろうか。「たられば」はご法度だが、どうしてもあれやこれやと、想像し考えを巡らせてしまう。

 天国で力道山さんや馬場さん、三沢光晴さんらと、プロレス界の現状を見守ってくれているであろう鶴田さんの意見を今こそ聞いてみたい。

次のページへ (2/2) 【写真】スーツ姿でインタビューに応じるジャンボ鶴田さんの姿
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