ゴリ、母から聞いた沖縄戦の痛ましい記憶 沖縄本土復帰50年に子どもたちに伝えたいこと

お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリが、小説家デビューした。本名・照屋年之の名義でこのたび上梓したのは、故郷・沖縄が舞台の「海ヤカラ」(ポプラ社刊)。迎えた5月15日は、沖縄が本土に復帰し、50年という節目の日。戦火を逃れ生き抜いた母親から聞いた沖縄戦の記憶は、照屋の胸をえぐる内容だった。ロシアのウクライナへの侵攻が続く今、照屋は「戦争は負の遺産しか残さない」と危機感を募らせた。

児童書「海ヤカラ」で小説家デビューしたゴリ【写真:小黒冴夏】
児童書「海ヤカラ」で小説家デビューしたゴリ【写真:小黒冴夏】

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 お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリが、小説家デビューした。本名・照屋年之の名義でこのたび上梓したのは、故郷・沖縄が舞台の「海ヤカラ」(ポプラ社刊)。迎えた5月15日は、沖縄が本土に復帰し、50年という節目の日。戦火を逃れ生き抜いた母親から聞いた沖縄戦の記憶は、照屋の胸をえぐる内容だった。ロシアのウクライナへの侵攻が続く今、照屋は「戦争は負の遺産しか残さない」と危機感を募らせた。(取材・文=西村綾乃)

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 沖縄が本土に復帰したのは72年5月15日。照屋は返還から1週間後の同月22日、那覇市で生まれた。同年に生まれた子どもは“復帰っ子”と呼ばれている。

「うちは男ばかりの3人兄弟。僕は『次は女の子が生まれる』と望まれていたと聞きました。でも、生まれたのはまたまた男。がっかりした母は僕にスカートを履かせたりして、スクール水着も女の子用でした」

 照屋が、2年を費やしたデビュー作「海ヤカラ」は、戦後も米国の統治下に置かれた沖縄で、たくましく生きる10歳のヤカラが主人公だ。どんなときも太陽に向かってまい進するヤカラのように、自身の両親もまた戦後の沖縄をたくましく生きていた。

「商才があった母は戦後、『ベビー用品店をやれば当たる!』とひらめき、トラックに衣類を積んで帰って来ると、店頭に並ぶよりも前に、荷台に客が登って飛ぶように売れたと聞きました」

 ヤカラが漁師の父親と出向いた遺跡では、石彫りの獅子(富盛シーサー)の体に残る穴が沖縄戦で受けた銃弾の跡だと記すなど、沖縄が抱えている葛藤についても触れている。

「僕は小・中学生にあった『平和学習』という時間で、沖縄戦について学びました。語り部の方から話を聞くことはあっても、自分のおじいやおばあから戦争について聞く機会は、ありませんでした。月日がたって、暮らしが変わっても口にすることができないトラウマだったのだと思います。沖縄戦について母が話してくれたことは1度だけです。7歳か8歳の頃に、(照屋の)祖母に手をつないでもらって逃げたということでした。何日も食べず、飲まず。意識がもうろうとしている中で、いくつもの死体をまたいで走ったと聞きました。爆撃を受けた死体は、きっと痛ましい姿だったはずです。僕だって足がすくむと思うし、小学生の女の子がそんな光景を見たら、泣き叫んでもおかしくないです。でも、乗り越えて進まなくてはいけない。小さな女の子を死体に慣れさせてしまう……。それが戦争なのだと感じました」

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