NOKKOと中村あゆみ 同期2人の今だから話せる“80年代”「予定はスポーツ新聞で知った」

1984年デビュー組の良きライバルだったシンガー・ソングライターのNOKKOと中村あゆみ。アクセル全開で走り抜けた80年代を経て、今は母親となり一人娘を育てながら歌い続ける2人。互いに心のどこかで意識し合っていた両者が36年の歳月を経て音楽イベントで久し振りに同じステージに立つ。ENCOUNTでは2回にわたってNOKKOと中村の対談を紹介。1回目の話題はデビュー間もない85年の話から。中村は3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」がカップ麺のCMに起用され大ヒットを記録し、NOKKOはロックバンド「レベッカ」のボーカルとして代表曲「フレンズ」が誕生した一年だった。

デビュー37年を迎えたNOKKO(左)と中村あゆみ【写真:荒川祐史】
デビュー37年を迎えたNOKKO(左)と中村あゆみ【写真:荒川祐史】

重圧で「楽しく歌うなんていう余裕は全然なく」

 1984年デビュー組の良きライバルだったシンガー・ソングライターのNOKKOと中村あゆみ。アクセル全開で走り抜けた80年代を経て、今は母親となり一人娘を育てながら歌い続ける2人。互いに心のどこかで意識し合っていた両者が36年の歳月を経て音楽イベントで久し振りに同じステージに立つ。ENCOUNTでは2回にわたってNOKKOと中村の対談を紹介。1回目の話題はデビュー間もない85年の話から。中村は3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」がカップ麺のCMに起用され大ヒットを記録し、NOKKOはロックバンド「レベッカ」のボーカルとして代表曲「フレンズ」が誕生した一年だった。(構成・文=福嶋剛)

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中村(あゆみ)「NOKKOちゃんと会うのは2019年のテレビ番組の収録以来になるね」

NOKKO「あれが34年ぶりだったんだよね。あゆみちゃんとはデビューが一緒だから」

中村「そう。でも片やソニーミュージックの超大型新人バンドと片や小さなレコード会社からデビューした新人アーティストというスタートラインからすでに大きな差があった(笑)」

NOKKO「そんなことはなかったよ(笑)。あゆみちゃん、最初に会ったときのこと覚えてる?」

中村「もちろん。今でいうクラブだよね。NOKKOちゃんはそこで踊ってたの。場所が思い出せないんだけど」

NOKKO「新宿の花園神社のそばにあった『第三倉庫』というディスコだったよ。私はあんまり行くようなタイプじゃなかったんだけど、たまたまあゆみちゃんと会って一緒に行こうって誘われて」

中村「そうだったかな」

NOKKO「あゆみちゃんがキレイだったの。私は『こんなきれいな人と並んじゃってどうしよう?』って」

中村「何を言ってるの(笑)。NOKKOちゃんは最初、妖精みたいな印象で、私がNOKKOちゃんを好きだったんだけど、いつもすーっといなくなるのよ」

NOKKO「だって怖いと思って(笑)」

中村「アハハハ(笑)。NOKKOちゃんは『和製マドンナ』だったからね。私のほうは(音楽プロデューサーの)高橋研さんが、『女ブルース・スプリングスティーン』みたいなイメージで佐野(元春)さんや尾崎(豊)君とかに対抗させようとしてたから。ダンスも踊れて妖精みたいなNOKKOちゃんがうらやましかったの」

NOKKO「あゆみちゃんとはテレビでもあんまり共演はなかったんだよね」

中村「そう。それこそ日比谷野外音楽堂で開催した『宿題なんか忘れちゃえ』(1985年8月)というイベントを最後に会っていなかったんだよね」

NOKKO「あれは高橋研さんがイベントをプロデュースしていたんだよね」

中村「2人ともまだ19歳の子どもだったから大人の事情なんて全然分からなくて『レベッカのNOKKOと一緒にやるからお前しっかり歌えよ!』と言われて。それよりも、野音の大きなステージで歌うことにドキドキしてた」

NOKKO「夏の炎天下でのステージがほんと苦しくてね。暑さと緊張でセミの大きな鳴き声が『シネシネシネシネ』って聞こえてきてフラフラしちゃった(笑)」

中村「アハハ(笑)。夕方になると周りのビルの窓を空けてたくさんの人がこちらを見てる感じだった。とにかく客席とその空間全体の重圧がすごくて。楽しく歌うなんていう余裕は全然なくて、なんとか自分の持ち時間をやり切ることで精いっぱいだった。歌というより叫んでいたみたいな」

NOKKO「そうなのよ。でもホントあの時って私たちは何かの渦に巻かれていたんだよね」

中村「レコード会社同士の戦いもあったから、きっとそういう時代だったんだよ。私たちアーティストは大砲の玉みたいにライバルめがけて撃ち合ってるような、そんな毎日だった。そういう目まぐるしい中にいて。私もNOKKOちゃんも今では考えられないくらいのペースでアルバムやシングルを作って、ツアーの本数もすごかったでしょ?」

NOKKO「すごかったよ。ツアーから帰ってきたらそのままスタジオに連れていかれて。そこで真っ白な紙を渡されて次のシングル曲の歌詞を夜中の3時位までに書かなきゃいけなかったの。机の上にはすでに『LONELY BUTTERFLY』って書かれたジャケットが印刷されていてね。歌詞ができたらすぐにスタジオで歌入れして翌日にミュージックビデオを撮影したんだよ」

中村「寝るヒマなんてなかったよね」

NOKKO「そうなの。面白い話があってね。スタジオの外のロビーで『LONELY BUTTERFLY』の歌詞を書いていたら近くに米米CLUBのメンバーがいて。石井(竜也)君とかみんな楽しく談笑していたんだけど、私はもうテンパっていたから思わず、『すみません!ちょっとうるさいんですけど!』って言っちゃったの。それから石井君がそれをいつも笑い話のネタにしちゃってね(笑)。でもね、あのころは全部が青春だったの。そうじゃない?」

中村「そう! とにかく1か所に落ち着いてゆっくりすることなんてなくて目まぐるしく毎日を過ごしていたよね」

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