没後10年の立川談志、夜の銀座で見せた“素顔” 弟子が明かす爆笑問題との秘話

2011年11月21日、落語界の巨人・立川談志が75歳で亡くなった。没後10年の今秋、弟子の立川キウイが「“落語愛”ではなく“談志愛”で書いた」という新書「談志のはなし」(新潮社)を上梓した。名言至言、エピソードから浮かび上がる新たな談志像。その思いを著者に尋ねた。

演芸史的名シーンを見続けた立川キウイ【写真:本人提供】
演芸史的名シーンを見続けた立川キウイ【写真:本人提供】

「“談志愛”で書いた」弟子の立川キウイ、没後10年目に師匠談志の素顔明かす

 2011年11月21日、落語界の巨人・立川談志が75歳で亡くなった。没後10年の今秋、弟子の立川キウイが「“落語愛”ではなく“談志愛”で書いた」という新書「談志のはなし」(新潮社)を上梓した。名言至言、エピソードから浮かび上がる新たな談志像。その思いを著者に尋ねた。(取材・文=渡邉寧久)

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 生前、談志が「落語立川流の最高傑作也」と評価していた立川志の輔に以前、こんなことを言われたという。

「キウイ 弟子の恩返しはな、師匠がいなくなっても、その名を忘れさせないことだ。そして後につなげていくことだぞ」

 執筆のベースになったのは、師匠に勧められ始めた、入門後の日々をつづった日記。

「普通のキャンパスノート、十数冊ありました。その日、師匠が何を言ったか、ひと言で終わる日もあれば、長く書く日もありました。このまま埋まるんじゃないかと思っていましたけど」と考えていた師匠の言葉を、キウイがよみがえらせた。

 各章のタイトルには、談志の言葉が並ぶ。

「小言は己の不快感の解消である」「俺はね、一流じゃないの、二流、超二流など」「人間は未練で生きている」「基本はキチンとやれ」などに沿い、蔵出しエピソードが並ぶ。

 担当編集者の注文は「落語の専門書を作るわけじゃないから、楽屋内のリポートをしてほしい」。それが徹底されている。

 タイトル以外にも名言至言は豊富で、「人生成り行き」「何でも手に入っていはいけないし、また入るもんじゃない」「人生なんて喰って、寝て、やって、オシマイ」といった談志の言葉が全編に散りばめられている。

 通常、前座修業は3~4年で終いになり、二つ目に昇進する。前座時代はほぼ毎日師匠について暮らすが、二つ目になると師匠につく必要がなくなるため、会う頻度もがくんと減る。

「僕は16年半、前座をやりました」というキウイは、昼は師匠の自宅や仕事先で修行した。そして夜。師匠の命で、東京・銀座のバー「美弥」でバーテンダーとして働いていた。その時間が、キウイのエピソードを実らせた。

「他の前座は昼の師匠しか見ていない。僕は、夜の師匠を見ることができた。前座が長くなり、何度か破門にもなりましたから、当時はネットの掲示板でアンチのコメントにさらされました。でもこれを書くことができて、談志の弟子で間違ってなかった。それが確認できた」としみじみと語り、ほんの少しだけ胸を張る。

次のページへ (2/3) 目に焼き付けた“夜の談志”の素顔 アンジャッシュもお気に入りだった
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