熊本旅館破壊事件の真相 泥酔していない船木誠勝と元猪木番記者が語った新事実

プロレス界で語り草になっている1987年1月23日の熊本旅館破壊事件。新日本プロレスの巡業中にUWF勢と初めての宴会を開催、泥酔したレスラーが暴れ、最後は旅館に大きな損害を与えたというものだ。その真相を巡ってはさまざまな説が飛び交っているが、泥酔することなく冷静に状況を観察していた2人の証言者が20日、都内でイベントに登壇した。新証言が次々に飛び出したイベント内容をリポートする。

コロナ闘病中の田中ケロリングアナにエールを送った清野茂樹氏、甘井もとゆき氏、吉武保則氏、本間キッド(左から)【写真:ENCOUNT編集部】
コロナ闘病中の田中ケロリングアナにエールを送った清野茂樹氏、甘井もとゆき氏、吉武保則氏、本間キッド(左から)【写真:ENCOUNT編集部】

前田日明が武藤敬司をボコボコ びびった記者たち

 プロレス界で語り草になっている1987年1月23日の熊本旅館破壊事件。新日本プロレスの巡業中にUWF勢と初めての宴会を開催、泥酔したレスラーが暴れ、最後は旅館に大きな損害を与えたというものだ。その真相を巡ってはさまざまな説が飛び交っているが、泥酔することなく冷静に状況を観察していた2人の証言者が20日、都内でイベントに登壇した。新証言が次々に飛び出したイベント内容をリポートする。

 20日に行われたトークイベント「チャクリキ夜話 新日本プロレス水俣旅館破壊事件の真相」。当初、登壇予定だった田中ケロリングアナが新型コロナウイルス感染のため欠席。代わりに当時、新日本担当記者としてこの宴会の一部始終を目撃していた東京スポーツの吉武保則氏と、プロレスラーの船木誠勝(リモート出演)の2人が証言者として立った。田中リングアナの早期回復を願ってイベントはスタートした。

 宴会は新日本にUWFが合流して初めての親睦会という名目で開かれた。

 水俣市体育館で試合を終えた後、旅館に戻り、宴会場に外国人を除いたレスラーが集結。中央にはアントニオ猪木や坂口征二が座り、途中からUWF勢、リングスタッフや原稿を書き終えてから駆け付けたスポーツ紙や専門誌の記者やカメラマン、中継のテレビ朝日関係者を含めると、数十人が大広間にいたという。

 この日、プロレス界で料理のことを指す“ちゃんこ”を用意したのは藤原喜明。焼き肉をつつきながら、酒はジョッキで焼酎という組み合わせだった。屈強なレスラーにとってはそれ自体はありふれたごく日常の光景だった。

 熊本旅館破壊事件についてはこれまでもさまざま意見が語られている。事実もあるが、誇張されたり、妄言虚言もあった。その理由は、大半のレスラーが酔っぱらっていたからであり、またすでに30年以上前のこととあって、おひれがついていたことも否めない。その点、船木は当時新弟子に近く、未成年でもあり、大先輩たちの前で乱闘を仕掛ける立場ではない。「自分もまあまあ記憶がいいほうだと思います」と意識ははっきりしていた。また、元猪木番でマスコミ代表の吉武氏は「ボクが一番、アルコールが入っていなかった。一番冷静には見ていたと思う」というから証言の信ぴょう性はかなり高い。

 騒ぎが始まったきっかけとして知られるのが、前田日明による武藤敬司への馬乗り殴打だ。

 船木が言う。

「まず口ゲンカです。ドン荒川さんが、『武藤、オマエ、日明に言うことないのか』みたいなことけしかけて、それで武藤さんが『あんたらのやってることはプロレスじゃねーよ』って言い出した。その言葉を聞いて、前田さんが一気に武藤さんのところに飛んで行きましたね。斜め正面ぐらいに座っていたんです。武藤さんもまさかそこまで来るとは思っていない。前田さんはあっという間に馬乗りになってボコボコにしていました」

 吉武氏もその瞬間をはっきり覚えている。

「ボコボコボコって音がして何かと思ったら、前田が武藤に馬乗りになってフルスイングで…。みるみるうちに武藤の顔が変わっていきました。ボコボコ殴っているのを見て、他社の記者がびびっていたのを覚えています。あまりの迫力というか、すごい殴り方だったので」

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