韓国“金メダル当然視”の中で「ゼロ」の衝撃度 五輪テコンドーの結果をメディアが論評

東京五輪テコンドー種目で韓国の金メダル獲得数がゼロという成績で終わったことに韓国メディアは「宗主国なのに史上初の“ノー金メダル”」と衝撃を受けている。テコンドーの発祥地として韓国選手の金メダル獲得は当然視されてきたが、今回の結果を受け各メディアは原因や対策の分析に乗り出している。

東京五輪・女子67キロ超級で銀メダルを獲得したイ・ダビン【写真:Getty Images】
東京五輪・女子67キロ超級で銀メダルを獲得したイ・ダビン【写真:Getty Images】

21か国がメダル獲得全32個 韓国は銀1個、銅2個にとどまる

 東京五輪テコンドー種目で韓国の金メダル獲得数がゼロという成績で終わったことに韓国メディアは「宗主国なのに史上初の“ノー金メダル”」と衝撃を受けている。テコンドーの発祥地として韓国選手の金メダル獲得は当然視されてきたが、今回の結果を受け各メディアは原因や対策の分析に乗り出している。

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 そもそもテコンドーの宗主国とはどういう意味か。全日本テコンドー協会の公式ホームページによると、創始者である崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏が、朝鮮半島の古武術や中国武術、そして崔氏が日本留学中に学んだ松涛館空手を基礎に研究を重ねて独自体系を確立し、1955年にテコンドーと命名した。テコンドーの原形は、古くは高句麗時代の遺跡にある壁画にその姿を見ることができる、という。このような歴史的背景があるため、韓国チームにとって金メダル獲得は至上命令と考えられていた。

 しかし、結果は女子67キロ超級のイ・ダビンが銀メダル、男子80キロ超級のイン・ギョドンと男子58キロ級のチャン・ジュンが銅メダルで、金メダルはゼロ。テコンドーが五輪の正式種目になった2000年のシドニー大会以来、韓国が金メダルを獲得できなかったのは今大会が初めて。2016年のリオ五輪では金メダル2個、銅メダル3個を獲得しただけに東京大会での不振が目立ってしまった。

 現地メディアは不振の理由について次々と分析記事を発表している。「Eデイリー」は「宗主国韓国テコンドー 史上初ノーゴールド その理由は?」と題した27日付記事で「コロナ19の影響が大きかった。韓国代表選手たちはコロナ19により国際大会にほとんど参加できなかった。選手村で着実に訓練をしたが、実戦感覚不足はどうしようもなかった。試合後半、体力的な部分で問題が現れポイントを与えてしまう悪循環が繰り返された」としたうえで、「欧州の選手は着実に大会に出場したおかげで実戦経験を継続的に積むことができた。その結果、男女金メダル8個のうち5個を欧州の選手たちが持っていった」と論評した。

 東亜日報は28日付記事「テコンドー五輪史上初の“ノーゴールド”」の中で「テコンドーがすごく発展した。全世界的に水準が上がった」とする韓国の看板選手イ・デフンのコメントを紹介。ハンギョレ新聞は29日付記事で同じくイ・デフン選手の「失点をしないための(守備的な)ゲームをしている」とのコメントを引用し、「現在、テコンドーは足の裏のセンサーなどを利用しポイントを測定している。これは過去のテコンドーが五輪種目の座につく過程で公正性論議が起きたことを意識して設けられた規則だ。テコンドーが名実ともに世界的なスポーツとして定着していくのなら、センサーの代わりに審判の判定に委ね、キックなどの攻撃関連の規則を再整備して試合の楽しさを加える方向に行かなければならないという指摘も説得力がある」と提案した。本来は格闘技であるはずのテコンドーがポイントを稼ぐスポーツになっている現状を憂慮したうえでの論評だ。

 ハンギョレ新聞はまたジョン・ヨンチョル西江大教授(スポーツ心理学)の「テコンドーのグローバル化は肯定的な面がある。金がとれないといって宗主国が変わるわけでもなく、むしろ選手たちには(韓国が)テコンドーの国として畏敬の念を与えることができる」とするコメントを紹介し、テコンドー精神を大切に守ることの重要性を指摘した。

 一方、京郷新聞は「ノーゴールドだが…宗主国の面目を示したテコンドー」と題した27日付記事で準決勝終了1秒前に英国選手への蹴り技を決めて大逆転劇を見せたイ・ダビン選手について「大会を通して守備中心の試合が繰り返され“足フェンシング”という汚名を着せられたテコンドーだが、劇的で面白いことを正しく見せた」と指摘した。

 また、銅メダルのイン・ギョドン選手についても「全盛期だった2014年に血液がんの一種であるリンパがん2期診断を受けた。厳しい化学療法中に訓練どころか食べ物のにおいをかいだだけで吐き気がするほど苦しい日々を送った。引退するか悩んだが、2015年光州ユニバーシアードで銀メダルを獲得して以来、毎年アジア選手権(16年金メダル、18年金メダル)と世界選手権(17年銅メダル)でトップクラスの技量を誇った」と振り返り、がんを克服したイン選手の道のりを「人間勝利」とたたえた。

(※記事はいずれも電子版)

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